摩耶舞薮露愚

日々是口実日記(スパムメールの情報など)

お互いの家

2009年08月31日 | 男女の心象風景
台風の影響で、天気は大荒れ。衆院選も大荒れ!\(^o^)/
そんな8月の終わりであるが、夏休みも終わって、明日あたりから学校が始まるのかな。

夏休みの風物詩といえば、田舎への帰省、なんてのがあるが、ちょっと目を引いた記事があった。

夫抜きで夫の実家に行きますか?

これは「教えて!goo」に寄せられた質問で「夫は同行せずに私と子供だけで夫の実家に行くっておかしくありませんか?夫の実家には電車で1時間くらいです。」というのが、その趣旨のようだ。

なるほどねえ。

これに対する回答は、「孫のお祝いをしたいというもので、主役は孫なのだからおかしくはない」というあたりが主流になっているようだ。
尤も、「教えて!goo」の方には、もっとサバサバした回答も多く、結婚した以上、相手の両親は身内なのだから、おかしいと感ずる必要などない、とか、ダンナの実家と距離があるのではないか、とか、当たり前のようにダンナ抜きでダンナの実家に泊まりに行く、などといったものが意外に目立った。

なぜ、アメブロでは、そうした意見を採り上げないのかね?
それよりも何よりも、この質問が「教えて!goo」に寄せられたのは、昨年の5月のことで、今更とりあげる理由がよくわからないのだが(^_^;

話がずれたが、オレ自身の感覚からすれば、連れ合いの実家に連れ合いなしで出かけることには、全く抵抗を感じないどころか、却ってくつろげることの方が多い。
先日も、連れ合いの叔母が亡くなり、仕事を休めない連れ合いに代わって、オレが葬儀に参列したところだ。
「忙しいのに遠いところをよく来てくれた」と、叔父が俺の手を握りしめて言ってくれた一言で、往復8時間の移動の疲れも吹っ飛ぶというもの。

同じく、オレの連れ合いも、オレが仕事の都合で帰省が遅れてしまうときなどは、早めにオレの実家に行ってくれて、実家の手伝いなどをしてくれている。
だから、たまさかオレ一人で帰省などをすると、○○子(連れ合いの名前)はどうした?などと両親に難詰されたりするのだ。
特に父などは、連れ合いが帰ってくるのを楽しみにしているようだし。

オレの場合だって、義父がオレの来るのを楽しみに待っていてくれることが本当に嬉しかった。
二人して酒などを酌み交わしつつ、なんだかんだと話をする時間はかけがえのないもの。この人は自分のことを本当に大切に考えてくれているのだな、ということが言葉の端々から伝わってくる。

結婚は二人だけの問題だという風潮もあるらしいが、オレは、結婚によって連れ合いの家族や身内の方々と出会えたことは自分にとって誠に大きな財産だったなと思っている。姻戚関係というものがこれほどまでに大きな存在であるとは、それまで想像もしなかったのであるから。
連れ合いだって同じ想いだろうと思う。
だから、帰省の際に、オレの身内へのお土産を、真剣にそしてある種の楽しみを込めて選んでくれている連れ合いの姿に、何ともいえない温かさを感ずるのである。

尤もこれは、同居していないが故の効果なのかもしれないが。
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メール返信の気遣い

2009年08月24日 | Weblog
もう八月も下旬になった。

一月近くも更新が途絶えてしまい、いくら何でも怠惰すぎると思いつつも、このところ晒したくなるような「おもしろい((・_・)\(^^;)オイオイ)」spamが見あたらないので、ついつい放置プレイを続けてしまったのであった。

あー、下品な表現になってしまった(>_<)
貧すれば鈍す、の局地だね。

断っておくが、spam自体が減ったわけではない。
プロバイダのメールフィルタサービスが飛躍的に向上し、有料プロバイダはもちろん、例えばyahooフリーメールのようなものでも、相互学習能力が充実してきていて、自分のところに届く以前にフィルタリングされて、「迷惑メールフォルダ」などに分別されているのである。

ありがたいことだ。

しかし、spamを晒して笑いものにしつつ警告を発するというコンセプトからすれば、取り上げるべきブツが予め分別ゴミに放り込まれている状況下では些か面倒なことになる。
分別された「迷惑メールフォルダ」を漁れば、もしかするとおもしろspamが見つかるかもしれないのだが、なんせ、一日に200通を超えるspamが分類されているわけで、そんなものを逐一読もうだなんて、とっても考えられないわけだから。
まあ、しかしこれは贅沢な悩み(?)ではあるよね(^_^;
フィルタリングサービスがここまできていなかったときには、自分のメーラーで一つ一つ設定したり、手動で削除したり、それこそメールを読むだけで無駄かつ不毛な時間を費やされていたのだから。

そんなわけで、そろそろこのブログのコンテンツも変えていくべきなのかなあ、などと考えていたら、なおさら題材が見つからなくなってしまった次第_(^^;_
と、つまらないいいわけを書くまでもなく、このブログにそんな確固たるコンテンツなど存在しないことは明白なわけで、要はやる気の問題なんだな。

ということで、メールのやりとりについて前から感じていたことをちょっと書いてみたいと思う。

通信手段としての電子メールは、ここ数年の間に飛躍的な向上を遂げている。
10年ちょっと前までは、メールアドレスを持っていること自体が、wwwに接続する環境を整えているという点で、ネット関連では少々先進的な人という感じがあった。
だが、今となっては、むしろメールアドレスを持たない人の方がレアなケース(ネットに対する何らかの問題意識を有している、とか)だろう。
利便性やコストを鑑みれば、電子メールが相当程度マスに普及した時点で、こうなることは予測されていた。
現在では、会社間における正式な意思確認のツールとしても使われているほどに、通信手段としての地位は上がっているのである。

こうした業務上の連絡ツールとしてのメールは、先に連絡・確認事項が明確になっているため、余り問題となることはないのだが、私的なメールの場合、やりとりによってはしばしば感情的な軋轢を生じてしまうことがあったりする。
返信などのタイミングについては、以前「返信メールの遅れ」という項目で書いているので、ここでは繰り返さない。
今回は、受け取ったメールへの反応について、少し触れてみたいと思う。

メールに自分の思いのたけを綴って送り、それに対する共感とか反応を期待しているのに、相手方からはそれについて何らの言及もなされずに拍子抜けした、というような経験はないだろうか。
そんなとき、送り手が考えることを自分に照らして考察してみると、次のようなものになりそうな気がする。

  1. 相手を不愉快にさせる内容であったのではないか

  2. 相手が答えに窮するような内容であったのではないか

  3. そもそも答えを必要とするような内容だと受け止められなかったのではないか


自分にとってはいかに大切な内容であろうとも、相手方にとっては歯牙にもかける必要を感じないもので、当然にスルー、なんてのもあるだろう。
いずれにしても、相手方にそれほどの重みを持たせることもなく、単にスルーされただけなのであれば、余り問題はない。
「オレはこんなに真剣にこの問題を考えているのに」と切歯扼腕したい気持ちもわかるが、仮にそうだとするのであれば、きちんと論理を整理した上で具体的な問いかけをし、回答を要請すべきなのであるから。

だが、先の二項目はちょっと問題がありそうだ。
相手方が本当にそう思っているのかどうか、この時点では全く判明していないのにもかかわらず、勝手に思い込んで悩むことになるわけだからだ。
これは一種のパラノイアかもしれない、と思う。

以前、趣味を同じうする友人とメールのやりとりをしていたとき、微妙な方向性の違いなどから議論がエスカレートし、ちょっと気まずい関係になった経験がある。
その友人は大変な自信家で、己の進むところ可ならざるはなし、といったところがあって、とにかく意見の異なる点については相手を論駁しないではいられない人間であった。
そんなこともあり、彼からのメールに関しては不用意な返信をしないようにと、次第に当たり障りのないものとするよう心がけるようになっていく。
そんなオレに不満を感じたものか、明らかに論戦に発展しそうな題材をそれとなくメールの文章の中に振ってくるようになった。
地雷が埋まっていることがわかりきっているのにわざわざ踏むような人間はいないわけで、オレはそうして振られた話題は極力スルーすることにした。
そうすると、自分のメールの中で自問自答形式の展開を始めるようになり、誘い水めいた書き方のメールを送ってくる。
耐えきれなくて反応しようものなら、泥沼の論戦に引き込まれるわけで、ぐっとこらえて当たり障りのない言葉で返す。
そのうちに相手は、オレが不機嫌になっているのではないか、と不安になってくる(実際にオレは不機嫌だったのだが)。
そうなると、今度は「こういう書き方がオタクの神経を逆なでしたようで」みたいな、正しく神経を逆なでするメールを送ってくるようになるわけだ。
幸いにして(と、敢えて書く)、その友人とは現在ほとんど没交渉となっているので、精神衛生上は極めて楽なのであるが。

しかし、ここまで極端な例は少ないながら、やはり勝手に盛り上がったメールを送ってきて、最初のうちはそれなりにつきあっていたオレが途中から反応しなくなると、途端に不安に陥って「失礼なことを書いたのなら謝る」などと、一転意気消沈する相手方は現在もいたりする。
断っておくが、オレは別に勝手に盛り上がったメールが来ても不機嫌になったりはしない。ただ、途中からさすがにつきあいきれなくなり(たいていは別のことで疲れていたりすることが多い)、スルーするだけの話なのだ。
「きちんと応えないのは失礼だ!」といわんばかりの反応に比べれば、全然ましな部類だが、反応を強要されている(ように感じさせる)という点では同じこと。
「いやいや、ここのところちょっと疲れがたまっていたので、きちんとした返信が出来なくてスマン」などと書いて、相手のメールに対するそれなりの「反応」を試みたりするわけだ。
正直にいって、これは非常に疲れる話なのだが、相手はそれで「安心」するらしい。

そんなわけで、オレ自身が友人にメールを送る際、少なくとも曖昧な態度で相手方に回答を期待するような書き方はやめようと決めている。
もしも、相手から何らかの回答が欲しいような事態となったのなら、問いかけを明確にして内容も具体的に提示し「意見を求める」「教えを請う」と書くように心がけている。
また、距離的に離れている場合は別として、ある程度突っ込んだ話になりそうなときは、お互いに時間を都合して会い、その場で話し合おうと持ちかける(少なくとも顔をつきあわせて話をした方が、メール上でのやりとりよりも遙かにスムーズで誤解を少なくすることが出来よう)。

メールは、読んでくれる人間がいて初めて成り立つコミュニケーション手段だ。
相手の立場に立った文章の作成に努めるのは当たり前の心がけだと考える。
こんなふうに書きながら、オレもしばしば自分の妄想に近いことを延々と書き連ねたメールを送ることがあったりするので、これを機会に見直すことにしよう。
大切な友人たちを失わないためにも。
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