運転免許の更新に出かけた。
過去5年間の間に、2回軽微な交通違反をしていたので、今回は「違反運転手」ということになるらしい。
2004年の駐車違反と2006年の制限速度25キロオーバーだ。
2000年に制限速度20キロオーバーまでは、免許取得からずっと無事故無違反・ゴールドカードだったのだが、これで気落ちしてか、ちょっと悪い方向に風が吹いているみたい(;_;)
それはともかく、「違反運転手」での更新は、居住地最寄の警察署では対応してくれず、運転免許試験場に行かなくてはならない。
オレの場合は二俣川となるので、自宅からは電車で1時間はかかる。
とにかく早めに終わらせたかったので、8時30分の開場までに行こうとしたのだが、折悪しく、小田急線で人身事故による遅れが発生しており、開場後に到着。
予想通り、えらい混みようだ。
まず、更新申請用紙をもらうのに並び、印紙(3800円←違反運転手の場合)を買うのにも並び、さらに長い更新手続の列につく。そのうちに申請用紙手渡し窓口が空き始めたため、そちらの担当者が更新手続きの業務に参加し、そこからはかなりピッチが上った。
そこを終えて、視力検査。これがまた大変な列になっている。検査ブースは三つあるのだが、これがなかなか進まない。
まあ焦っても仕方がないので列につきながらボツボツと進んでいくと、先ほどあれだけ混みあっていた更新手続きのブースが閑散としていた。
つまりオレは、一番混み合うときに来場したというわけか、などと思うと何だか腹立たしくなって困った(^_^;
視力検査が終わると、免許証用の写真撮影。
ここまできてやっと「違反運転手講習」受講にこぎつけた。
「もう講習が始まりますよ。急いで」と係官に促され、小走りで講習開場に滑り込むと、ほぼ満員だ。
100名以上ということだった。一回の講習でこれだけの人数が受講するのだ。「違反運転手」って結構な数がいるんだね(^_^;
講習時間は二時間。
最初に映画が上映される。交通事故の被害者家族のその後を辿るもので、その悲しみはずっと癒されないということを切々と訴えかけている。
それはそうだろう。
「行ってきます」といって元気で家を出た肉親が、突然ものも言わぬ遺体となって帰ってくるのだから。
その遺失感の大きさは想像を絶する。
これは、海や山での遭難と相通ずるところがありそうだ。自殺などもそうだろう。
肉親の死に立ち会うことは誰しも耐え難いことではあろうが、それでも即死でなければ病床で看護することもできるから、心構えというか、自分を納得させることも可能ではあろう。
しかし、元気で出かけた姿のままで旅立たれたのではたまらない。
家族には元気なままの姿しか残らず、突然、目の前から消え去ってしまうのだから。
まして、酔っ払い運転の暴走車に引かれたとか、ひき逃げされたとかでは、とてものこと納得などできないことだろう。
改めて車の運転には気をつけなければ、思った次第である。
オレらのように、都心から車で出かけ、都心に車で戻ってくる場合、どうしても「渋滞」というリスクが頭を過ぎってしまう。
渋滞に嵌るのが嫌で、とにかく車が流れているうちになるべく先に行っておきたいと思うと、気持ちに焦りが生じて運転も荒くなるのだろう。
渋滞に嵌ったときの「損をした」気分をなんとか拭い去ることができればいいのだが(^_^;
急がば回れ、というのはあらゆる局面で有効な俚諺なのだな。
特に車の運転は、一歩間違えば悲惨な事故につながり、その後の人生すら棒に振ってしまうことになるのだから。
とにかく今回は二俣川ですんで良かった。
三年後の更新時には最寄の警察署でできるように、安全運転に努めたいと思う。
いずれにしても、六角橋に出向かなくてはならなくなるようなことにだけは絶対にすまいと心に決める。
しかし、映画を観ていて思ったことだが、なぜに加害者は登場しないのだろう。
つぐないの碑のような手記もよく見かけるのだから、贖罪の日を送るこうした加害者の言葉を取り上げれば、さらに抑止効果も上るような気もするのだが…。
ところで、二俣川の運転免許試験場に行くのは、神奈川県に移り住んだとき以来だから、20年ぶりのこと。
相鉄線の電車がものすごくきれいになっていることと、二俣川の駅前が立派になっていたことに驚いた。
また、大和での小田急からの乗り換えも非常にスムーズで、正に隔世の感があった。
二俣川の試験場の施設自体は古いままのようだが、更新手続きなどに関する事務は大変スムーズになっていて、人数が多いわりには整斉と処理が進んでいく。
申請書の記入も極端に簡素化され、無駄を省こうという姿勢が見られて感心した。
浄書屋などは仕事を失って困ったことだろうが(^_^;
過去5年間の間に、2回軽微な交通違反をしていたので、今回は「違反運転手」ということになるらしい。
2004年の駐車違反と2006年の制限速度25キロオーバーだ。
2000年に制限速度20キロオーバーまでは、免許取得からずっと無事故無違反・ゴールドカードだったのだが、これで気落ちしてか、ちょっと悪い方向に風が吹いているみたい(;_;)
それはともかく、「違反運転手」での更新は、居住地最寄の警察署では対応してくれず、運転免許試験場に行かなくてはならない。
オレの場合は二俣川となるので、自宅からは電車で1時間はかかる。
とにかく早めに終わらせたかったので、8時30分の開場までに行こうとしたのだが、折悪しく、小田急線で人身事故による遅れが発生しており、開場後に到着。
予想通り、えらい混みようだ。
まず、更新申請用紙をもらうのに並び、印紙(3800円←違反運転手の場合)を買うのにも並び、さらに長い更新手続の列につく。そのうちに申請用紙手渡し窓口が空き始めたため、そちらの担当者が更新手続きの業務に参加し、そこからはかなりピッチが上った。
そこを終えて、視力検査。これがまた大変な列になっている。検査ブースは三つあるのだが、これがなかなか進まない。
まあ焦っても仕方がないので列につきながらボツボツと進んでいくと、先ほどあれだけ混みあっていた更新手続きのブースが閑散としていた。
つまりオレは、一番混み合うときに来場したというわけか、などと思うと何だか腹立たしくなって困った(^_^;
視力検査が終わると、免許証用の写真撮影。
ここまできてやっと「違反運転手講習」受講にこぎつけた。
「もう講習が始まりますよ。急いで」と係官に促され、小走りで講習開場に滑り込むと、ほぼ満員だ。
100名以上ということだった。一回の講習でこれだけの人数が受講するのだ。「違反運転手」って結構な数がいるんだね(^_^;
講習時間は二時間。
最初に映画が上映される。交通事故の被害者家族のその後を辿るもので、その悲しみはずっと癒されないということを切々と訴えかけている。
それはそうだろう。
「行ってきます」といって元気で家を出た肉親が、突然ものも言わぬ遺体となって帰ってくるのだから。
その遺失感の大きさは想像を絶する。
これは、海や山での遭難と相通ずるところがありそうだ。自殺などもそうだろう。
肉親の死に立ち会うことは誰しも耐え難いことではあろうが、それでも即死でなければ病床で看護することもできるから、心構えというか、自分を納得させることも可能ではあろう。
しかし、元気で出かけた姿のままで旅立たれたのではたまらない。
家族には元気なままの姿しか残らず、突然、目の前から消え去ってしまうのだから。
まして、酔っ払い運転の暴走車に引かれたとか、ひき逃げされたとかでは、とてものこと納得などできないことだろう。
改めて車の運転には気をつけなければ、思った次第である。
オレらのように、都心から車で出かけ、都心に車で戻ってくる場合、どうしても「渋滞」というリスクが頭を過ぎってしまう。
渋滞に嵌るのが嫌で、とにかく車が流れているうちになるべく先に行っておきたいと思うと、気持ちに焦りが生じて運転も荒くなるのだろう。
渋滞に嵌ったときの「損をした」気分をなんとか拭い去ることができればいいのだが(^_^;
急がば回れ、というのはあらゆる局面で有効な俚諺なのだな。
特に車の運転は、一歩間違えば悲惨な事故につながり、その後の人生すら棒に振ってしまうことになるのだから。
とにかく今回は二俣川ですんで良かった。
三年後の更新時には最寄の警察署でできるように、安全運転に努めたいと思う。
いずれにしても、六角橋に出向かなくてはならなくなるようなことにだけは絶対にすまいと心に決める。
しかし、映画を観ていて思ったことだが、なぜに加害者は登場しないのだろう。
つぐないの碑のような手記もよく見かけるのだから、贖罪の日を送るこうした加害者の言葉を取り上げれば、さらに抑止効果も上るような気もするのだが…。
ところで、二俣川の運転免許試験場に行くのは、神奈川県に移り住んだとき以来だから、20年ぶりのこと。
相鉄線の電車がものすごくきれいになっていることと、二俣川の駅前が立派になっていたことに驚いた。
また、大和での小田急からの乗り換えも非常にスムーズで、正に隔世の感があった。
二俣川の試験場の施設自体は古いままのようだが、更新手続きなどに関する事務は大変スムーズになっていて、人数が多いわりには整斉と処理が進んでいく。
申請書の記入も極端に簡素化され、無駄を省こうという姿勢が見られて感心した。
浄書屋などは仕事を失って困ったことだろうが(^_^;