「○○さん、近頃おかしいのよ、送ってきたメールにすぐに返信しなかったから、といって、私が○○さんのことを嫌っていると思っているらしくて…。」
その○○さんからは「△△さんが私のことを遠ざけているみたい。何通もメールを送っているのに返信がないの」という相談が来ていた。
△△氏は、「ここのところ仕事が忙しくて、メールの返信が出せないのは○○さんだけじゃないのよ、それなのに…。困ったわねえ。」とため息をつく。
本当に困った話だ。
何がって、そんな下らない愚痴を聞かされるこっちの身にもなってくれ、といいたいわけだよ、つまり。
△△氏の言によれば、仕事が忙しくてメールの返信が出来ないのは○○さんだけではない、ということだが、簡単に言えば、○○さんのメールは今の△△氏にとってプライオリティの低いシロモノに過ぎない、ということなのだろう。
そしてそれは、つまり△△氏にとって○○さん自身のプライオリティもまた低いということなのだ。
それを○○さんは敏感に感じ取った。だから、「遠ざけられている」という○○さんの認識は実は正しい。
こう考えてみると、メールというものの性格がなんだか浮き彫りになってくる。
メールの特徴はその即時性にあり、かつ、電話のように相手方の時間を同時進行的に拘束することがないし、ファクシミリのように他人の目に触れる危険性も少ないという利点を有している。
10年ほど前までは、使用できる人が小数であったことから汎用的な通信手段とまではいえなかった嫌いがあるが、携帯メールの爆発的な広がりによって、そこもクリアされた。
いまや、成人であれば大抵の人はメールによる連絡が可能な環境にあるといえよう(高齢者はこの限りではないかもしれないが)。
さて、こうして環境が整えられてくると、その「即時性」が枷となってくる。
すぐに返信が出来るはずなのに、しかも返信が来てしかるべき内容のメールを打っているのに…、返信が来ない。なぜなんだろう。よほど答えたくない内容なのか。それとも私のことを嫌っているのか。答えたくない問いかけをしてしまったから、きっと嫌われたんだろう。そんなふうに被害妄想は果てしなく羽を広げていく。
そして、「お詫びのメール」まで送っちゃったりする。「忙しいところに、不躾なメールを送ってごめんなさい」「私に悪いところがあったのなら謝ります」などという、読みようによっては押し付けがましいことこの上ないメールをね。
で、それでも返信が来ないとキレるわけだな\(^0^)/
そうなると相手方はさらに引いてしまい、距離と溝はどんどん深まっていく。効率的な通信手段をせっかく手にしたのに、それが仇になっていく構図が出来上がる。めでたしめでたし☆(゜o°(○=(-_-;コレコレ
情報伝達手段としてはまだ歴史の浅いメールであるだけに、非常に微妙な位置にあって、さらにややこしいことは、人それぞれに思い入れが異なっているということ。
会話であれば、相手の表情を見ながら言葉を選べるわけだから、文字だけの場合と比べ、意思の疎通は格段に速く正確になる。
また、例えば手紙なら、書いていく間に思考も整理され、最初は感情的になっていたとしても、それを文字に置き換えていく段階で徐々に冷静さを取り戻すことも多い。やり取りに一定の時間かがかかることも予めわかっているから、多少の返信の遅れもさほど気にならないだろう。
こうしてみていくと、メールの位置付けの微妙さが感得できるのではないか。
さらにメールは、例えばそれを公文書として重要な位置付けを持たせている(社用メールなど)場合と、仲間内のヨタ話の類との間に、大きなギャップが存在しているなど、極めて始末に悪い部分もある。
つまり、送った方と受け取った方との間に温度差が生じてしまう可能性があるわけだ。これが結構きついんだな(^^;
だから、こんな相談を受けても困っちゃうわけだよ、オヂサンは(>_<)めんどくせえなぁ
とりあえず△△氏には「貴女が○○さんとの付き合いを今後も大切にしたいのなら、遅れた理由を書いてとにかく返信すればいいし、距離が出来てもいいや、と思っているのなら、時間の出来たときにでも当たり障りのないメールを出せばいい」と言い、○○さんには「人には様々な都合があって、△△さんも仕事かなんかで返信が遅れているのかもしれませんよ。あまり気にしないことです」と言った。
両方から、もっと誠意のあるアドバイスをくれ、と責められた。
えーい、いったいこれ以上どうしろというんぢゃ!\(^0^)/
だいたい△△氏にしてからが、以前オレに「□□君にメールを出す時間があるのに、何故私には返信メールをくれないの!?私より□□君の方が大切なわけ!?」と詰め寄ったことがあるのだから(^^;
結局どちらも、「なぜ私のことを第一に考えてくれないのか」という極めてジコチューな苛立ちゆえのものいいなんだな。
世の中、貴女だけが常に主役なんてことはないんだよ。そのことをまず自覚した方がいいんぢゃないか\(^o^)/
その○○さんからは「△△さんが私のことを遠ざけているみたい。何通もメールを送っているのに返信がないの」という相談が来ていた。
△△氏は、「ここのところ仕事が忙しくて、メールの返信が出せないのは○○さんだけじゃないのよ、それなのに…。困ったわねえ。」とため息をつく。
本当に困った話だ。
何がって、そんな下らない愚痴を聞かされるこっちの身にもなってくれ、といいたいわけだよ、つまり。
△△氏の言によれば、仕事が忙しくてメールの返信が出来ないのは○○さんだけではない、ということだが、簡単に言えば、○○さんのメールは今の△△氏にとってプライオリティの低いシロモノに過ぎない、ということなのだろう。
そしてそれは、つまり△△氏にとって○○さん自身のプライオリティもまた低いということなのだ。
それを○○さんは敏感に感じ取った。だから、「遠ざけられている」という○○さんの認識は実は正しい。
こう考えてみると、メールというものの性格がなんだか浮き彫りになってくる。
メールの特徴はその即時性にあり、かつ、電話のように相手方の時間を同時進行的に拘束することがないし、ファクシミリのように他人の目に触れる危険性も少ないという利点を有している。
10年ほど前までは、使用できる人が小数であったことから汎用的な通信手段とまではいえなかった嫌いがあるが、携帯メールの爆発的な広がりによって、そこもクリアされた。
いまや、成人であれば大抵の人はメールによる連絡が可能な環境にあるといえよう(高齢者はこの限りではないかもしれないが)。
さて、こうして環境が整えられてくると、その「即時性」が枷となってくる。
すぐに返信が出来るはずなのに、しかも返信が来てしかるべき内容のメールを打っているのに…、返信が来ない。なぜなんだろう。よほど答えたくない内容なのか。それとも私のことを嫌っているのか。答えたくない問いかけをしてしまったから、きっと嫌われたんだろう。そんなふうに被害妄想は果てしなく羽を広げていく。
そして、「お詫びのメール」まで送っちゃったりする。「忙しいところに、不躾なメールを送ってごめんなさい」「私に悪いところがあったのなら謝ります」などという、読みようによっては押し付けがましいことこの上ないメールをね。
で、それでも返信が来ないとキレるわけだな\(^0^)/
そうなると相手方はさらに引いてしまい、距離と溝はどんどん深まっていく。効率的な通信手段をせっかく手にしたのに、それが仇になっていく構図が出来上がる。めでたしめでたし☆(゜o°(○=(-_-;コレコレ
情報伝達手段としてはまだ歴史の浅いメールであるだけに、非常に微妙な位置にあって、さらにややこしいことは、人それぞれに思い入れが異なっているということ。
会話であれば、相手の表情を見ながら言葉を選べるわけだから、文字だけの場合と比べ、意思の疎通は格段に速く正確になる。
また、例えば手紙なら、書いていく間に思考も整理され、最初は感情的になっていたとしても、それを文字に置き換えていく段階で徐々に冷静さを取り戻すことも多い。やり取りに一定の時間かがかかることも予めわかっているから、多少の返信の遅れもさほど気にならないだろう。
こうしてみていくと、メールの位置付けの微妙さが感得できるのではないか。
さらにメールは、例えばそれを公文書として重要な位置付けを持たせている(社用メールなど)場合と、仲間内のヨタ話の類との間に、大きなギャップが存在しているなど、極めて始末に悪い部分もある。
つまり、送った方と受け取った方との間に温度差が生じてしまう可能性があるわけだ。これが結構きついんだな(^^;
だから、こんな相談を受けても困っちゃうわけだよ、オヂサンは(>_<)めんどくせえなぁ
とりあえず△△氏には「貴女が○○さんとの付き合いを今後も大切にしたいのなら、遅れた理由を書いてとにかく返信すればいいし、距離が出来てもいいや、と思っているのなら、時間の出来たときにでも当たり障りのないメールを出せばいい」と言い、○○さんには「人には様々な都合があって、△△さんも仕事かなんかで返信が遅れているのかもしれませんよ。あまり気にしないことです」と言った。
両方から、もっと誠意のあるアドバイスをくれ、と責められた。
えーい、いったいこれ以上どうしろというんぢゃ!\(^0^)/
だいたい△△氏にしてからが、以前オレに「□□君にメールを出す時間があるのに、何故私には返信メールをくれないの!?私より□□君の方が大切なわけ!?」と詰め寄ったことがあるのだから(^^;
結局どちらも、「なぜ私のことを第一に考えてくれないのか」という極めてジコチューな苛立ちゆえのものいいなんだな。
世の中、貴女だけが常に主役なんてことはないんだよ。そのことをまず自覚した方がいいんぢゃないか\(^o^)/