乙武氏の不倫騒動で、そこかしこのマスコミやネットが話題となっている。
「話題」というよりも「炎上」といった方が適切かもしれないが、不倫騒動という点では、まだ収束が見えていないベッキーや自民党の宮崎元議員のそれとダブってくるようなやられようだ。
不倫騒動といえば、最近でも、桂文枝や石井竜也の例などがあったりしたが、こちらの方はすっかり「鎮火」している風情もあるのに、ベッキーや宮崎氏や乙武氏の場合はなかなか収まりがつかないように感ずる。
何故にこうした違いが生じているのか。
オレなどからすればうんざりする話なのだが、このブログの更新をしばらくさぼっていたこともあり、ちょっと考えてみた。
ネットなどをググってみるれば、これらのことについてそれこそ甲論乙駁様々な書き込みで溢れている。
こうした書き込みを見ていると、うっすら浮かんでくるのは、叩かれている人たちが日頃から何らかの反感を抱かれていたことにもその原因があるのではないかと思われてくる。
つまり、常日頃あんなふうに正論をぶっていていけ好かないヤツだったがやっぱりか!、という感じだ。
その、日頃の態度と今回の「事件」との落差で、一番ダメージを受けているのは、いうまでもなく本人たち。自分が作り上げてきた人物像を眼前で突き崩されたのだから、アイデンティティの喪失も半端ではあるまい。
彼らが一様に見る影もないほど憔悴しきっているのは、世間に打たれているということ以上に、己の中で築き上げてきたある意味での理想の姿を木端微塵にしてしまった現実を受けてのことだろう。
これは一種のアイデンティティ・クライシスであり、下手をすると己の全否定というところまで突き進む可能性なしとしない。
彼らが「謝罪」している姿を見ていると、完全に自分自身を見失っている、という気がする。
誰に対してどのような罪を謝るべきなのか、そういうことを論理的に考えることすらできなくなっているのではないか。
その点、ベッキーのお相手のロック歌手はすごいね。
これは全くその通りだ。
彼が謝るべきは、まず妻であろうし、迷惑をかけた直接の仲間たちなのだから。
文春の取材に対しても同様の回答をしていたそうだが、ある意味清々しいものを感ずる。
彼の曲自体をファンが見放したりしない限り、いわゆるミュージシャンとしては活動を続けることができるのではないか。
こういう発言をできる状況からして、少なくともアイデンティティ・クライシスに陥っているとは到底思えないし。
ともあれ、不倫という婚外交渉が倫理に悖る行為であることはいうまでもない。
なんといっても、実行者の連れ合いにとっては最悪の背信行為であり不道徳極まりない仕打ちなのであるから。
刑法上の犯罪ではなくとも民法上の不法行為に当たり、当然のことながら賠償責任も発生したりする。配偶者との婚姻関係の破綻も出来することだろう。
しかし、それはあくまでも当事者間での話。
いくら著名人とはいえ、テレビとか週刊誌とかスポーツ新聞などのマスコミや、全く関係のないネット住民あたりに謝罪したり事実を申し述べる必要など全くないのだ。
こうした話題の発掘や暴露に血道をあげている週刊誌は、ただただ部数を伸ばしたいが故の行動をとっているだけなのだろうし、その思惑にうかうかとのってしまう大衆の存在も、ある意味では情けないものなのかもしれない。
こういう話題をアップするオレも含めて、「ゲス」という言葉は天に向かって吐いた唾のようなものなのかもしれぬ。
「話題」というよりも「炎上」といった方が適切かもしれないが、不倫騒動という点では、まだ収束が見えていないベッキーや自民党の宮崎元議員のそれとダブってくるようなやられようだ。
不倫騒動といえば、最近でも、桂文枝や石井竜也の例などがあったりしたが、こちらの方はすっかり「鎮火」している風情もあるのに、ベッキーや宮崎氏や乙武氏の場合はなかなか収まりがつかないように感ずる。
何故にこうした違いが生じているのか。
オレなどからすればうんざりする話なのだが、このブログの更新をしばらくさぼっていたこともあり、ちょっと考えてみた。
ネットなどをググってみるれば、これらのことについてそれこそ甲論乙駁様々な書き込みで溢れている。
こうした書き込みを見ていると、うっすら浮かんでくるのは、叩かれている人たちが日頃から何らかの反感を抱かれていたことにもその原因があるのではないかと思われてくる。
つまり、常日頃あんなふうに正論をぶっていていけ好かないヤツだったがやっぱりか!、という感じだ。
その、日頃の態度と今回の「事件」との落差で、一番ダメージを受けているのは、いうまでもなく本人たち。自分が作り上げてきた人物像を眼前で突き崩されたのだから、アイデンティティの喪失も半端ではあるまい。
彼らが一様に見る影もないほど憔悴しきっているのは、世間に打たれているということ以上に、己の中で築き上げてきたある意味での理想の姿を木端微塵にしてしまった現実を受けてのことだろう。
これは一種のアイデンティティ・クライシスであり、下手をすると己の全否定というところまで突き進む可能性なしとしない。
彼らが「謝罪」している姿を見ていると、完全に自分自身を見失っている、という気がする。
誰に対してどのような罪を謝るべきなのか、そういうことを論理的に考えることすらできなくなっているのではないか。
その点、ベッキーのお相手のロック歌手はすごいね。
こんなこと言うと多分叩かれるけど、すごいネットとかでみんな謝れって言うけど世間の誰に謝ればいいの?正直内輪での話だからみんな関係ないじゃん。メンバーやスタッフさんには謝りましたけどそれ謝ったよって報告してもまた何か言われるじゃないすか。
これは全くその通りだ。
彼が謝るべきは、まず妻であろうし、迷惑をかけた直接の仲間たちなのだから。
文春の取材に対しても同様の回答をしていたそうだが、ある意味清々しいものを感ずる。
彼の曲自体をファンが見放したりしない限り、いわゆるミュージシャンとしては活動を続けることができるのではないか。
こういう発言をできる状況からして、少なくともアイデンティティ・クライシスに陥っているとは到底思えないし。
ともあれ、不倫という婚外交渉が倫理に悖る行為であることはいうまでもない。
なんといっても、実行者の連れ合いにとっては最悪の背信行為であり不道徳極まりない仕打ちなのであるから。
刑法上の犯罪ではなくとも民法上の不法行為に当たり、当然のことながら賠償責任も発生したりする。配偶者との婚姻関係の破綻も出来することだろう。
しかし、それはあくまでも当事者間での話。
いくら著名人とはいえ、テレビとか週刊誌とかスポーツ新聞などのマスコミや、全く関係のないネット住民あたりに謝罪したり事実を申し述べる必要など全くないのだ。
こうした話題の発掘や暴露に血道をあげている週刊誌は、ただただ部数を伸ばしたいが故の行動をとっているだけなのだろうし、その思惑にうかうかとのってしまう大衆の存在も、ある意味では情けないものなのかもしれない。
こういう話題をアップするオレも含めて、「ゲス」という言葉は天に向かって吐いた唾のようなものなのかもしれぬ。