摩耶舞薮露愚

日々是口実日記(スパムメールの情報など)

結婚できない男たちの勘違い人生(日刊ゲンダイ)

2007年05月29日 | 男女の心象風景
結婚できない男たちの勘違い人生(日刊ゲンダイ)」という記事があり、なかなか考えさせられた。
ここまで極端ではなくても、これに類する話は聞いたことがあるので、結婚から遠ざかっている「負け犬」女たちもさることながら、そもそも恋愛をコミュニケーションの一つと考えられない輩が、信じられないほどの勢いで増殖しているということなのかもしれない。

この記事からも類推されることだが、彼らが真に愛しているのは、恐らく「自分自身」なのだろう。
もしも首尾よく彼女をgetしても、その彼女と付き合っている自分、つまり恋をしている自分、彼女に愛されている自分、を愛しているわけであり、つまりは「錯覚」ということではないのか。
思春期などによくある「恋に恋する」に近いかもな。
しかし、「恋に恋する」するというシチュエーションは、どちらかといえば、感銘を受けた小説などに影響されて、その主人公に自分を重ね合わせるという想いから発生する幻想と憧れに基づく類のものであろうから、実は似て非なるものではあろうが。

人間の精神活動において、「愛する」ということほど没利害的な行為はないとオレなどは考える。
愛するということは基本的に能動的なものであり、相手がそれに応えてくれるかどうかということなどに然程の重要性はない。もちろん、相思相愛であればそれに越したことはないが、その場合でも時系列的に互いの想いが全く同時進行ということは殆どありえないだろう。相手の想いが醒めていく頃に自分の想いが高まっていく、などという最悪のパターンすらあるのだから。
愛が報われなくて傷ついた、などというタワゴトは、畢竟、自分の想いに相手が応えてくれないという意味での泣きごとに過ぎない。「愛する」という自分の心に誠実であれば、相手方にそんな対価を求めること自体、極めて不純な思い上がりであることに気づくのではないか。

オレの周りにも、ここまでひどくはないが、なかなか恋が成就しないという悩みを抱えている人々がいる。
聞けば、相手も同様に想ってくれているらしいのだが、なぜかもう一歩踏み込むことができない。
相手に対する自分の想いが相手の負担になっているのではないか、ということを述べる者もいるが、これは大きな思い違いだ。
第一、愛されているだけなら、その対象の相手方が傷つくも傷つかないもない。仮に相手が負担を感ずるとすれば、それに応えなければならないと思うからだろう。つまり、その愛が「押し付け」であり、しかも「見返りを求める」類のものであるからに他ならないのである。

相手を心底愛するということは、その相手の深いところにある美しさを引き出し、その人の魂をより高める方向に自分としてどのようにかかわることができるか、ということではないのか。
愛する相手のことを何よりも先ず第一に考える。全てはそこから始まるのだ。
モテる男になるための実践テクニックみたいなものがよく問い沙汰されるが、恋愛は小手先の対応でどうこうできるような生易しいものではない。
没利害性をどこまで認識できるか、それこそが恐らく一番大切な要素であり、結果として嫉妬からも無縁の境地に至る王道なのではあるまいか。

あー、なんだか変に力が入ってしまったぜ(^^;このBlogにふさわしくない展開になってしまったか。

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