書いてみようかどうしようかと迷っている題材がある。
テレビのワイドショーやネットなどでの騒ぎもようやく一段落しつつある高畑某の暴行致傷事件だ。
このブログの本来の題材はspamについてなのであるが、プロバイダのブロックサービスの向上もあって、フリーメールですらほとんどお目にかからなくなってきた。
迷惑メールフォルダーを時折覗いてみると、相変わらずのシロモノがごまんとやってきていることがわかるが、少なくとも通常のメール確認ではそれによって手を煩わされることもなくなっている。
こうしたブロックをかいくぐって送りつけようとしているのだろうけれども、今のところプロバイダの迷惑メール対応の方が上回っているというところだろう。
むしろ、電話の方がたちが悪い。
特に、税金対策を謳ったマンション経営の勧誘は実にうるさく、ナンバーディスプレイ契約をしていない自宅の電話でうっかり出ようものなら、ここを先途とばかりにまくしたてられてしまう。
同じ営業でも、もう少し顧客に喜ばれるものを宣伝すればいいのにと余計なお世話ながら思ってしまう。
そんなわけで、このところ取り上げるspamネタもちょっと枯渇していたのでパズドラのことなどを取り上げてきたが、これについてももっと有益な(?)サイトがたくさんあるので、さすがに連発は気が引けるね。
そんなわけで、かなりもやもやしていた冒頭の話題に少しちょっかいを出してみたい。
テレビなどが血道を上げていた時期も去ったが、問題の本質は何だかおいてけぼりみたいな気がするからである。
高畑某容疑者のしでかした犯罪は暴行傷害罪であり、これは親告罪という括りにはならない。被害を受けた女性が警察に通報し、現場で逮捕されたのだから逃れようもないだろうし、起訴されれば実刑(無期又は5年以上の懲役に処せられる)を食らうことになる。
この点については議論の余地もないほど明快な話だ。
もやもやも大きな要因は、むしろ親である俳優・高畑淳子氏の行動について。
彼女のテレビ中継を通じての「お詫び会見」はいったいなんだったのか。
当初の予定時間を大幅に延長し、記者からの質問には全て答え、しかもその間立ったまま。
誠に見事な立ち居振る舞いと、それなりの評価の声も上がった。
しかし、このお詫び会見、いったい誰に謝罪したというのか。
全部を見たわけではないからオレがどうこういうのもおこがましい話ではあるが、結局、自身や息子が関係しているマスコミや芸能関係者に迷惑をかけたことに関して誤っていたようにしかとらえられなかった。
被害者に対して「被害者といわれる女性」という云い方をする無神経さも我慢ならない。自身が女性であり娘もいるという立場にありながら(そのことも会見では触れていたが)、息子がしでかした暴行傷害を受けたと言っている女性、という形で、あくまでも被害者だと称する人がいる、的な意識で取り上げたとしか思えない。
その一方で、罪を犯した息子に対し「お母さんはお母さんだから、お姉ちゃんはお姉ちゃんだから」と慰めの言葉をかけたことを、お詫び会見の場で披露する神経。
しかも、息子と会見した際、息子が「死にたい」と言っていたと、まるで息子がそこまで追い詰められていますと世間に訴えかけんばかりの同情を乞うている姿。
おいおい、お前の息子は立派な加害者なんですから!
今回の暴行傷害において、一番傷つき苦しんでいるのは被害者女性なのだという、当たりまえの感覚すら持ち合わせていないようだ。
そういう違和感を覚えた人は少なくなかったようで、高畑容疑者の「余罪」も含めて、様々な情報が掘り起こされてきた。
高畑容疑者が16歳の時、母親の付き人を恫喝してホテルに誘ったとか、学校で禁止されているケータイを持って行ったことを担任にとがめられたなどの対応に対する母親のモンスターペアレントぶりだとか、挙句の果てには本当の父親は○○氏だなどという、本質とは関係のない名前まで出されてきている。
恐れていたことではあったが、被害者女性の割り出しのようなことまで行われてきているようで、テレビの無神経な中継(ホテルの外形など)を通じて本人の特定をしたりという「セカンドレイプ」の動きが活発化。
ネットでは、被害者たたきまで出ているらしい。
リテラ > スキャンダル > 事件 > 高畑裕太レイプ事件で卑劣な被害者中傷 過熱する高畑裕太レイプ事件報道で被害者のプライバシー暴き、セカンドレイプが横行! ネットでは被害者の年齢中傷も
どんな奴らがどんな顔をして、こんな恥知らずなことを書きこんでいるのか。
匿名であり、自分たちの素性は決して特定されないという安心感の上に胡坐をかいてほざいているのだとしたら、正に鬼畜としかいいようがない。落合恵子氏の著作「ザ・レイプ」や「セカンドレイプ」を通読してみろ!といいたいくらいだ。
こういう心無い世間の声や反応や、公判を進めていく上でさらなる「レイプ」の可能性を忖度したものか、被害者女性は示談に応じ、高畑容疑者は釈放された。
高畑裕太、釈放 深々と30秒頭下げ謝罪 大声で「申し訳ございませんでした!」
彼は誰に謝罪したつもりなのか。
さらに、彼の弁護士はこんな見解を発表している。
高畑裕太 顧問弁護士がコメント発表「悪質な事件ではなかった」
本来であれば告訴されなくても起訴できる案件なのに、不起訴となったのだから悪質性がない、という論理展開。トートロジーか?
高畑容疑者以外の関係者からの事情を聴いていない段階で、こういうことを言うのだな。
弁護士を三百代言という意味がよくわかるよな。
レイプは精神的な殺人だという。
レイプの被害を受けた女性は、その恐怖に苛まれPTSDに苦しめられると聞く。
暴力を以て侵されることの恐怖は計り知れない。恐らく、以前の職業に復帰することも困難だろう。
一人に女性の将来生活と未来をめちゃくちゃに踏みにじる犯罪を犯しながら「不起訴」とは。
もやもや感はさらに払拭されることがない。
唐突に荒木一郎のことを思い出した。
彼も同じようなシチュエーションで強姦事件を起こし、相手方が示談に応じて不起訴となった。
母親が同じく俳優である荒木道子という点もそっくりだ。
荒木一郎は、二年程度の謹慎を経て芸能界に復活。
荒木道子は、この影響で芸能界から一時遠ざかったような印象を受けたが、特に会見などは行わず、淡々と映画やテレビドラマに出演していたっけ。
全く芸能界ってのは大甘だな、と当時思ったものだが、それは現在も同じようなものらしい。
恐らくさしたる反省もなく、高畑某は芸能界に復帰することになるのだろう。被害者女性の心と体に取り返しのつかない傷を負わせたことさえも忘れて。
暴行傷害罪を犯しても、最後は金で何とかなる、母親などの周囲の人間が助けてくれる、そう高畑某は思うのだろうか。
実に嫌な話ではある。
こういう話に直面すると、ロベール・アンリコの映画「追想(1975年)」や東野圭吾の「さまよう刃」の夫や父親の心情が痛いほどわかるような気がする。
なお、そのネットには次のような記事も掲載されていた。
レイプ被害者救済のために、ネットメディア、検索メディアがすべきこと
注目する主張と思う。ご一読を強く勧めたい。
テレビのワイドショーやネットなどでの騒ぎもようやく一段落しつつある高畑某の暴行致傷事件だ。
このブログの本来の題材はspamについてなのであるが、プロバイダのブロックサービスの向上もあって、フリーメールですらほとんどお目にかからなくなってきた。
迷惑メールフォルダーを時折覗いてみると、相変わらずのシロモノがごまんとやってきていることがわかるが、少なくとも通常のメール確認ではそれによって手を煩わされることもなくなっている。
こうしたブロックをかいくぐって送りつけようとしているのだろうけれども、今のところプロバイダの迷惑メール対応の方が上回っているというところだろう。
むしろ、電話の方がたちが悪い。
特に、税金対策を謳ったマンション経営の勧誘は実にうるさく、ナンバーディスプレイ契約をしていない自宅の電話でうっかり出ようものなら、ここを先途とばかりにまくしたてられてしまう。
同じ営業でも、もう少し顧客に喜ばれるものを宣伝すればいいのにと余計なお世話ながら思ってしまう。
そんなわけで、このところ取り上げるspamネタもちょっと枯渇していたのでパズドラのことなどを取り上げてきたが、これについてももっと有益な(?)サイトがたくさんあるので、さすがに連発は気が引けるね。
そんなわけで、かなりもやもやしていた冒頭の話題に少しちょっかいを出してみたい。
テレビなどが血道を上げていた時期も去ったが、問題の本質は何だかおいてけぼりみたいな気がするからである。
高畑某容疑者のしでかした犯罪は暴行傷害罪であり、これは親告罪という括りにはならない。被害を受けた女性が警察に通報し、現場で逮捕されたのだから逃れようもないだろうし、起訴されれば実刑(無期又は5年以上の懲役に処せられる)を食らうことになる。
この点については議論の余地もないほど明快な話だ。
もやもやも大きな要因は、むしろ親である俳優・高畑淳子氏の行動について。
彼女のテレビ中継を通じての「お詫び会見」はいったいなんだったのか。
当初の予定時間を大幅に延長し、記者からの質問には全て答え、しかもその間立ったまま。
誠に見事な立ち居振る舞いと、それなりの評価の声も上がった。
しかし、このお詫び会見、いったい誰に謝罪したというのか。
全部を見たわけではないからオレがどうこういうのもおこがましい話ではあるが、結局、自身や息子が関係しているマスコミや芸能関係者に迷惑をかけたことに関して誤っていたようにしかとらえられなかった。
被害者に対して「被害者といわれる女性」という云い方をする無神経さも我慢ならない。自身が女性であり娘もいるという立場にありながら(そのことも会見では触れていたが)、息子がしでかした暴行傷害を受けたと言っている女性、という形で、あくまでも被害者だと称する人がいる、的な意識で取り上げたとしか思えない。
その一方で、罪を犯した息子に対し「お母さんはお母さんだから、お姉ちゃんはお姉ちゃんだから」と慰めの言葉をかけたことを、お詫び会見の場で披露する神経。
しかも、息子と会見した際、息子が「死にたい」と言っていたと、まるで息子がそこまで追い詰められていますと世間に訴えかけんばかりの同情を乞うている姿。
おいおい、お前の息子は立派な加害者なんですから!
今回の暴行傷害において、一番傷つき苦しんでいるのは被害者女性なのだという、当たりまえの感覚すら持ち合わせていないようだ。
そういう違和感を覚えた人は少なくなかったようで、高畑容疑者の「余罪」も含めて、様々な情報が掘り起こされてきた。
高畑容疑者が16歳の時、母親の付き人を恫喝してホテルに誘ったとか、学校で禁止されているケータイを持って行ったことを担任にとがめられたなどの対応に対する母親のモンスターペアレントぶりだとか、挙句の果てには本当の父親は○○氏だなどという、本質とは関係のない名前まで出されてきている。
恐れていたことではあったが、被害者女性の割り出しのようなことまで行われてきているようで、テレビの無神経な中継(ホテルの外形など)を通じて本人の特定をしたりという「セカンドレイプ」の動きが活発化。
ネットでは、被害者たたきまで出ているらしい。
リテラ > スキャンダル > 事件 > 高畑裕太レイプ事件で卑劣な被害者中傷 過熱する高畑裕太レイプ事件報道で被害者のプライバシー暴き、セカンドレイプが横行! ネットでは被害者の年齢中傷も
「40のババア大袈裟すぎんだよ、金が欲しいだけだろ」
「40代のババアが女として見られただけいいと思えよ。何通報してんだよ」
「高畑裕太許してあげなよ どうせ40のババアだし てかいいじゃん俳優とやれたんだし」
どんな奴らがどんな顔をして、こんな恥知らずなことを書きこんでいるのか。
匿名であり、自分たちの素性は決して特定されないという安心感の上に胡坐をかいてほざいているのだとしたら、正に鬼畜としかいいようがない。落合恵子氏の著作「ザ・レイプ」や「セカンドレイプ」を通読してみろ!といいたいくらいだ。
こういう心無い世間の声や反応や、公判を進めていく上でさらなる「レイプ」の可能性を忖度したものか、被害者女性は示談に応じ、高畑容疑者は釈放された。
高畑裕太、釈放 深々と30秒頭下げ謝罪 大声で「申し訳ございませんでした!」
彼は誰に謝罪したつもりなのか。
さらに、彼の弁護士はこんな見解を発表している。
高畑裕太 顧問弁護士がコメント発表「悪質な事件ではなかった」
しかしながら知りえた事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く、少なくとも逮捕時報道にあるような電話で「部屋に歯ブラシを持ってきて」と呼びつけていきなり引きずり込んだなどという事実はなかったと考えております。つまり、先ほど述べたような、違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件であります。以上のこともあり、不起訴という結論に至ったと考えております。
本来であれば告訴されなくても起訴できる案件なのに、不起訴となったのだから悪質性がない、という論理展開。トートロジーか?
高畑容疑者以外の関係者からの事情を聴いていない段階で、こういうことを言うのだな。
弁護士を三百代言という意味がよくわかるよな。
レイプは精神的な殺人だという。
レイプの被害を受けた女性は、その恐怖に苛まれPTSDに苦しめられると聞く。
暴力を以て侵されることの恐怖は計り知れない。恐らく、以前の職業に復帰することも困難だろう。
一人に女性の将来生活と未来をめちゃくちゃに踏みにじる犯罪を犯しながら「不起訴」とは。
もやもや感はさらに払拭されることがない。
唐突に荒木一郎のことを思い出した。
彼も同じようなシチュエーションで強姦事件を起こし、相手方が示談に応じて不起訴となった。
母親が同じく俳優である荒木道子という点もそっくりだ。
荒木一郎は、二年程度の謹慎を経て芸能界に復活。
荒木道子は、この影響で芸能界から一時遠ざかったような印象を受けたが、特に会見などは行わず、淡々と映画やテレビドラマに出演していたっけ。
全く芸能界ってのは大甘だな、と当時思ったものだが、それは現在も同じようなものらしい。
恐らくさしたる反省もなく、高畑某は芸能界に復帰することになるのだろう。被害者女性の心と体に取り返しのつかない傷を負わせたことさえも忘れて。
暴行傷害罪を犯しても、最後は金で何とかなる、母親などの周囲の人間が助けてくれる、そう高畑某は思うのだろうか。
実に嫌な話ではある。
こういう話に直面すると、ロベール・アンリコの映画「追想(1975年)」や東野圭吾の「さまよう刃」の夫や父親の心情が痛いほどわかるような気がする。
なお、そのネットには次のような記事も掲載されていた。
レイプ被害者救済のために、ネットメディア、検索メディアがすべきこと
注目する主張と思う。ご一読を強く勧めたい。