いままで そしてこれから

人の為と書いて・・・

久しぶりの面会

2016-03-27 20:58:12 | 日記
母親の入所しているユニットでは、一時面会が禁止されていました。
このほど解禁になり、久しぶりに面会に行ってきました。

母親も、久しぶりだったのか私の顔を見るなり、悲しい顔になりました。
確か、一か月ぶりくらいです。

ベッドに横になっていたので、職員さんが案内してくれ
 「息子さんが来たよ」
母親は目を開け、私を見つけると私の手をギュッと握り、離しません。

私も懐かしい気持ちはありましたが、それ以上に
帰るタイミングを考えてしまいました。

10分ほど他愛のない話をしたでしょうか、
花粉症を風邪のせいにして「風邪ひいたから鼻水が出て困ったから、噛んでくるね」
と言って、場所を離れ、そのまま出てきてしまいました。
いきさつを職員の方へ伝え出てきてしまいました。

そうそう、今日行った理由は、今月は母親の誕生日です。
近くのスーパーでショートケーキを買って行ったのでした。
職員の方へ「一口でもいいから食べさせてください」と手渡しました。


そのあと、父親が入っているユニットへ面会です。
違う職員の方が対応してくれました。
「息子さんが来ましたよ」
父親もベッドで横になっていて声を掛けられ、目を開け
きょろきょろしていました。
私を見つけ、にこ~っとします。
そして、「オーッ」と声を出すのです。
去年の脳梗塞になった時期からすると、めざましい回復です。
あのころからは想像できませんでした。

でも、これ以上の回復は望めず、落胆しました。

しばらくは、このパターンでの面会が続きそうです。

老いは気から

2016-03-26 21:09:39 | 日記
昨年、身の回りで両親の介護が発生しました。
親たちが元気なころには考えてもみなかったこと。
でも、親と同居するということは大なり小なり
必ず起こること。

それに対処して、保険を完備しておくこと。
そんな基本的なことに気が付きませんでした。

というか、父親は気も心も丈夫で、病気になるなんて
ことは、想像もできませんでした。

私たちは、共稼ぎでしたので、収入はそこそこあり
数か月に一度は、ドライブを兼ね、車で東京まで出かけ
観光したこともありました。
また、毎週のように写真撮影に出かけていました。

両親が病に倒れてからと言うもの、病院の看病・
介護・家の手入れ・庭の剪定・樹木の枝打ち・町会の参加、と
自分の時間は無くなってしまいました。

たまに、写真仲間からお誘いの電話が来ても、断ることが続きました。

写真仲間には最高年齢が79才の方がいます。
遠くいる孫にせがまれ、鉄道写真をコンデジで撮影していました。
あまりにも みすぼらしい姿だったので、声をかけ撮影方法を教え
そのうち自分でデジタル一眼レフカメラを購入するまでになりました。

その方は、今は孫より自分が鉄道写真にのめり込み、あちこちで撮影しています。
最初の頃は、列車の上り・下りを間違えて、後ろから列車が来たり ひどいものでした。
また、撮影がないときには吹き矢の練習とか、趣味は多彩です。

腰を曲げている姿は年齢を感じさせますが、気持ちは私たちと そうは変わりません。

私とは20近く離れているわけですが、わたしもこの方のようになれるでしょうか。
趣味を持ち続けること・若い人たちと交流を持つことが、長生きの原動力と思います。

特養に入った両親。
あの時のように、自分の時間を持ち、リフレッシュしたい。
「老いは気から」、のような気がします。



やっと うれしいお知らせでした

2016-03-20 17:31:35 | 日記
いままで申し込みしておいた、特養施設から、連絡がきました。
「お父様の施設入所間近になりました」との連絡です。

入所の手続き・入所日を打ち合わせをしてきました。
すでに、母親は先に入所しています。
施設の方から「一緒に逢えますね」
「当分は逢わせるのはやめてください」と返事をしました。
母親は認知でも、遠い過去のことは意外に覚えているようです。

いまここで再会させるのが怖かったのです。
一晩中騒がれたらしたら、たいへんなことになります。

昨年の一月に脳梗塞を患い、県立病院に入院
胃ろう増設のため、転院
老健施設へ入所
そしてたどり着いた、特養施設
私なりに、精神的に疲れたときもありました。
衣類の洗濯・体調不良による呼び出し・金銭的なこと

すべてが解決されたわけではないけれど、一つのヤマは越えたような感じです。
というか、一年もこんなことをやっていると、自分自身が慣れてきたというのも本音カモ。

だって当時は、不安で、不安でなにをしても父親のことが
脳裏から離れることがなかったのです。お金のこと・自宅介護のこと・家の保全
山積でした。

後ろ髪をひかれることがあります。
老健施設には無理をいって、一年近くいたわけですが、
大変よくやっていただきました。
ヘルパーさんは細かいことにも気を配り、そして時々
介護の状況など手紙を入れててくれました。
事務の方も、いつも挨拶をしてくれ対応は最高でした。
なので、料金のお支払、お呼び出しなどはすぐに行うように努めました。
しばらくここの施設においていただけるのであれば、ここの老健でも
いいのですが、そうはいきませんでした。
いつまでも、ここにはいられないとは知ってても
後ろ髪をひかれる思いで退所してきました。 施設の皆さま 本当にありがとうございました。

親戚の不幸

2016-03-16 21:34:20 | 日記
私の比較的近い親戚の、長男さまが急逝した。
続柄が近いため、告別式のみならず、
お亡くなりになられた晩の枕経からの参加です。

すぐにでも起きてきそうなお姿でした。
故人の姉妹、親御さんはまだ健在で
さぞ、肩の力を落とされたかと思うと、声をかけるのをためらいました。

これからのスケジュールと費用のこと。結構かかることには驚きました。
私にはこんな立派な式を挙げることはできないでしょう。
恥ずかしながら、今までこんな場面まで踏み込んで入ったことはありませんでした。

戒名・式の規模・お返しの品々、微力ながら手伝いをさせていただいたわけでしたが、
これほどの忙しさから、身内だけではできないことがわかりました。

これからの未来がある人の死は痛ましいものです。
故人とは車購入の相談・保険の相談と親しく話をさせていただいたことを
思い出し、こみ上げてくるのを抑えることができませんでした。

通夜・告別式と進み最大のイベントを迎え、悲しんでいる場合ではありませんでした。
布団に寝かされている姿からそして棺に入り、最後は火葬場へと進むのですが
少しずつ、亡くなったという実感がわいてきました。

今ではもう、数週間が経過しましたが、高齢のお母様は大丈夫かが不安です。

私には二人の要介護者がいますが、近い将来この世から離れることになります。
今回の親戚の不幸を見させていただき、少しは参考になったかと思いました。

誰もが避けては通れない死、それを看取ること、告別の儀。
残されたものの義務です。

今回は大変貴重な体験をさせていただきました。合掌

だいぶ ご無沙汰をしました

2016-03-15 21:17:41 | 日記
もう一か月以来の更新になります。
いろいろありまして、更新をさぼっておりました<m(__)m>

父親の施設では、感染予防のため職員以外の面談は禁止させられていました。
先週からインフルエンザも終息したことから、
面会は可能になりました。

洗濯物を持ち、部屋に入るのも久しぶりでした。
特段の体調の変化もなく、目を開けボーっとしています。

話をかけると、簡単な質問にはうなずいて返答します。

この施設に入り、間もなく一年になります。
ほぼ定期的に、洗濯物の交換に通っていますが、
我ながら、よく続いたものだ、感心します。


母親の入所している施設から一本の電話。
「お母様の息子さんですか?」  「「はい・・・」
「お母様が足の付け根がいたいといっていたので、整形外科を受診しました」
あぁ、またかぁ、と急に肩の力が抜けた。
高齢なのだから、こんなことがあっても不思議ではないはず。
「整形外科で診察してもらった結果、骨はスカスカですといわれた」とのこと。
骨粗しょう症らしい。
「今は痛み止めを処方しました、回復しない場合は骨折も考えるので
 その時はギプスに入ることもあります」とのこと。

この年でギプスに入ると、一生なんだろうな。