いままで そしてこれから

人の為と書いて・・・

私の平成を振り返って

2019-04-30 19:30:31 | 日記
今日は一日、天皇陛下の、退位の特別番組の日でした。
私の平成を振り返ってみたいと思います。
昭和59年に転職し、今までの職工から営業職に開業しました。
景気上向き、順風満帆でした。
お忍びで海外旅行もできました。

自営業と言うことで、他人から文句を言われることもなく、自由奔放でもありました。
子供たちも進学を迎えることで、親が建てた家を増築することもできました。

ビッグバーン・パソコンの普及などで、景気に陰りを感じてきました。
と共に、年齢も加わり労働意欲も下がってきました。
自由化が進み海外から同業者が増え、商売が過激化されます。

我が家においては、不仲の夫婦の影響で、子供たちは私たちの元を離れ始まりました。
せっかく増築した家も、空き部屋になってしまいました。

子供たちが家を出て、一人暮らしを始めたため、この家は両親を含め4人暮らしになりました。
アパート暮らしをしているようで、4人が全員一緒に食事をすることはありませんでした。

東日本大震災。
連日の余震、ライフラインの切断、嫌でも家族一緒に居ないといけない。
あの時は、ある意味幸せだったかも。 望んでいた家族像だった。

のど元過ぎれば熱さ忘れる。
復興進めば自分の居場所ができ、また以前の様に戻れる。

父母の病気
これをきっかけに始まったブログ。
急病に侵された父。今までやったことのない経験。
看病と介護でした。もう二度と戻らなくなった肢体を見た時は自暴自棄でした。

介護生活
いままで生活していた我が家から、父母は老人ホームへと生活の場を変えました。
子供たちも含めると6人暮らしの我が家も、もう家内との二人暮らし。
ほとんどの介護に関する世話は私の役目でした。

葬儀
父親そして母親と続き両親を看送りました。
墓地建立と、人並みに墓守役になってしまいました。

世の中の激変に乗せられた平成でした。戦争がなかったのは素晴らしかったが
気持ちの落ち着かない、余裕のない、時計の早回りするような時代だったかも。




GW 真っ只中

2019-04-29 19:01:19 | 日記
盆休み・正月休みを含めても、これほどの長い休みになったことはありませんね。
私もこの10連休の恩恵にあやかっています。

連休にしかできないこと。家の周辺の片付け、加修です。
27日は、庭の草むしり。
28日は使わなくなった冷蔵庫の片付け。
29日は2階の雨どいの修理。一番のメーンイベントでした。
集中豪雨の時に雨どいが飲み切れず、作業場が水浸しになってしまいます。
ホームセンターから雨どいとジョイントとクランプなどを買ってきます。
今までの雨どいを不要なところから切断。買ってきた雨どいを必要な長さにカット。
日曜大工の要領の悪さ。何回階段を上り下りしたか。
天気予報を見ると快晴は午前中のみ。そして部品の不足。
またホームセンターに買い出し。

悪戦苦闘し、何とか午後2時には完成しました。
後は水試験。あすは雨の予報が出ています。

大工仕事をしていた亡き父親。毎年の集中豪雨には頭を痛めていたとは思うが、
きちんと修理をしておいてくれれば、不器用な私がやる必要はなかったのに。
ぶつぶつ、一人ごとを言いながらの作業でした。

「こんどはお前がやれよ」と天から見ていたのでしょう。
試された気がしました。

気がつけば

2019-04-21 18:47:09 | 日記
久しぶりのブログ更新です。
亡くなった父母の行事もしばらくはなく、毎朝夕の仏壇のあいさつと
毎月の墓参をこなすぐらいです。
でも5月になると、6月の一周忌の打ち合わせのため、お寺さんに出向かわなくてはいけません。

さて、先日 役所から一通の通知が届きました。
封筒を見ると、「高齢者肺炎球菌予防接種」のおしらせです。
役所は縦割り行政なので、父母の死亡後の連携がなく通知を出したのだろうと
思っていました。
または、健康保険・介護保険の死亡後の還付の通知かと思っていました。

封を開け中の文章を見ると、私のものでした。

65歳になる方から、この接種を受けられるらしい。
悪くない話だが、気持ち的には愕然としました。
「もう私も高齢者か」と。
人生を駆け抜け、家を増築し、父母の葬儀を執り行い、
はっと気が付くと、もう高齢者扱い。あと20年後はこの世にいられるか、です。