いままで そしてこれから

人の為と書いて・・・

暮れのごあいさつ

2016-12-30 19:07:36 | 日記
間もなく今年も終わりです。
今迄に経験したことのない一年でした。
父親の死、そして喪主になった私、墓石の建立。
この歳になって、少しは大人になったような気がします。

また、家族の絆の弱さも実感しました。
その時ばかりの悲しみ。
子供たちは葬儀が終わると、自分の生活基盤に戻り
また、家内はその後の法要、墓石建立には口を出さず
その後は、すべて私だけでした。

愚痴を言っても、置かれた立場をこなすしかなく、
毎月の墓参は欠かさず行ない、仏壇の焼香・
朝晩の会話は欠かさずやっています。

そしてこちらも。
母の面会です。
施設に預けっぱなしの母親。
振り返るとちょうど一年前。胆嚢炎で緊急入院しました。
回復し施設に戻りましたが、医師によると一年単位で考えておいてください、と。
施設でもほとんど、ベッドに寝たきりでした。
施設の行事にも参加は私の仕事です。だって私の母親だもの。
次第に体調も戻り、日中はほとんど車椅子で起きてテレビを見るようになりました。

3月ごろまでは父は老健施設でお世話になっており、私は掛け持ちで忙しかったです。
着替えの洗濯も私の仕事でした。死亡する7月まで続きました。

母親だけの面倒になった今、負担は減り自分の時間の取れるようになりました。

そして、今年最後となる面会で、手土産を持って施設を訪れました。
ユニットの職員の方に「今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします」と。
テーブルに5~6人囲んでいたこともあり、母親は帰り際の寂しい顔はしませんでした。

墓石もきれいにしようと、お墓参りもしました。
新しい花を添え、好きだった日本酒のワンカップもふたを開けおいてきました。
 
今年のやり残したことは無い筈。
明日は、心沈めて紅白でも見るか。

年の瀬のお経

2016-12-28 20:22:39 | 日記
今年は早々に客の葬式に参列し、
その後、親戚・お客と続き7月には介護していた父の死亡。
その後も続き、また回忌法要と礼服も休む時がありませんでした。

時には2週続けの告別式もありました。

先月告別式があり、もう今年は無い、と思いクリーニングに出し仕舞っておいたのに
先日、同業者の家族の葬儀。父の時にもおいでいただいたこともあり、お返しを兼ね参列しました。

もうないと思っていたら、父が世話になっていた取引先のご家族の訃報が新聞に出ていた。
私は付き合いがなかったものの、父の葬儀の時に香典をいただいていたこともあり
参列しました。
「父ちゃん、あんたの取引していた方の家族の葬式に行ってきたからね、
 これ、お返しの品だよ」と言って返戻品を仏壇の脇に置きました。

従って、この年の瀬になって2か所出席させていただきました。
と、同時に福沢さんも飛んでいきました。

人の生き死にはいつ訪れるかわからないので、しょうがありませんが
もう後は無いことを期待しております。

一か月ぶりの面会でした

2016-12-18 20:05:55 | 日記
先月、施設で出張デパートが行われて以来、母の顔を見ませんでした。

寒かったことと、仕事とか、地区の行事とか目白押しでした。
というのは言い訳でしょうか。

今日は天気も良かったことから、面会に行ってきました。
一階で受付後、首に面会者のネームプレートを下げ2階に上がります。

ユニットの戸は開けっ放し。廊下から丸見えです。
いつもの指定席(?)のテーブルで3時のおやつを食べているところでした。
遠巻きに廊下からしばらく様子を眺めることにしました。

私に気付いた職員さんが、母に「ムスコさんが来たよ」とでもいったのでしょうか
母は私の方を見つけました。
人差し指で私を差し「あら~」の仕草です。
私もお返しに人差し指で「あら~」をしました。

「なんで全然来なかったんだい?」と私に文句を言います。
「ごめんな、仕事忙しかったんだ」と言い訳します。

食べかけているイチゴ味のヨーグルトみたいのをスプーンで食べさせてやります。
冷たくなった私の手を母の手に当ててみます。「冷たいべぇ、外は寒いんだよ」

部屋の私物の不足など職員さんに聞き、異常がないことを確認し、
10分ぐらい傍にいて、「そろそろ帰るからね、また来るから」と言うと
泣きそうな顔をして「行くのかい?」と言われ、後ろ髪をひかれる感じになりした。

職員さんにもご挨拶をして、振り向くこともせず、いっきにユニットを後にしました。

わたしの「今年の漢字」は

2016-12-12 22:23:24 | 日記
2016今年の漢字が発表されました。
「金」でした。
オリンピックで日本人の多くの金メダルが輝いたからでしょう。

さて、我が家の今年の漢字一文字は何だったでしょう。
改めて考えると出てこないものです。
熟語でしたら、あるのですが。
やはり、父が亡くなったことに関することばです。
死亡・惜別・後悔・体験

一文字となると、なかなか出てきません。

思いつきました、それは

物心ついた時から、職人気質の父親を憎み、
言うことを聞かず、文句ばかり言い続けた私でした。

それも、病に倒れ言葉を発することと、身体を動かせなくなった父親。
そして今年、死別という別れになってしまったこと。
看病・介護している時から次第に私の気持ちは変化していきました。

ベッドに伏して、自分で動かなくなった体を、さぞもどかしく思ったことでしょう。
最初は、私もこんな父の姿を見続けるのも辛く、酷いことを言ったこともありました。

次第にこの姿にも慣れ、私の気持ちにも変化が起きて来ました。
特に、父親が不摂生して起きた病魔ではなかったことです。
施設に面会に行くたびに、心の中では「悪かったなぁ」と、つぶやいていました。

亡くなる瞬間は、父親は私に逢ってくれませんでした。
「オレは大丈夫だ、仕事へ行ってこい」とでも言ってくれたのでしょう。
そのあとすぐに息を引き取ったわけです。
父親は、私を許してくれたと思います。

今でも悔いが残ります。
今年の私の漢字は「悔」に決めました。

先輩方の不安2

2016-12-06 20:36:08 | 日記
カレンダーを届けに行った2件目。ここは、会社の事務所です。
まもなく定年退職する方の話です。
この方は、90歳を超えたお母様が同居しています。
最近ボケが進んだらしく、目を離すわけがいかず、部屋に閉じ込めっぱなし。

おむつの交換、食事は長男のお嫁さんがやっているらしい。
心配というのは、来年の定年退職以降、朝から晩までお母様の付きっ切りになり
自分の時間が無くなる、とのこと。

足腰は丈夫で、しばらくは長生きしそう、とのこと。

「だったら、老健にいれたら、しばらくは楽できますよ」とアドバイス。
「老健?」「どうやったら入れるの」て言うから、細かく教えてやりました。

「長生きするのも大変だね、ピンピン・コロリってわけにはいかず、いつかは介護の世話になるんですよ」
「そうなると、年に何百万もの介護保険金を支払いされるんですよ」と教えてやりました。

「そんなに生かしても、どうしようもないんじゃないの?」と言われるので
「ん・ん・ん・ん・・・」「自分がその立場になると何とも言えませんね」とやんわり返事しました。

わたしもそういう時期があり、その当事者になると早く辛さから解放されたいとの思いから こんなことを言いがちになります。
明日は我が身ですね。私だってあと10数年過ぎると、介護保険の世話になるかもしれません。
ただ、今の水準で保険給付は受けられないでしょう。 老人には厳しい時代になりそうです。

今日、その方とまたお会いしました。
「おかげさまで、老健の申し込みをしてきました」と報告を受けました。感謝されましたね。

追い打ちをかけたのは、奥様が部屋で滑って転んでしまった、とのこと。
2日ほど動けないんですよ、腰が痛いってろくに動かないんです。
医者に行きたいんだが、車に乗せるわけにいかず困っているんです、というから
「介護タクシーを使えば行けるんじゃないの?」「せっかく申し込んだ老健施設のケアマネージャさんに相談したほうがいいですよ」

「わかった、ありがとう」と言われた。

この家族も、私の家のようにW介護になりそうだ。

育ててくれた両親を邪魔にするわけではないが、自分の生活の制限を考えると複雑な立場ですね。