早起き梟のひとりごと

仕事に追われる日々を少しだけ立ち止まって見つめてみると・・・

松川の石碑

2019-08-16 05:00:49 | 出来事

松川の塔から少し離れたところに石碑があり、こちらは1999年に東日本旅客鉄道労働組合が建てたもの。

全文。

        謀略忘れまじ松川事件

 時代の色に染まらない。時の流れに流されない。それは理性に導かれた民衆の抵抗を意味する。

 権力者は民衆の犠牲の上に君臨し「国家・国民のため」と大うその御託宣をくだす。

法律を支配者のために作り、都合よく解釈し、国家の暴力装置としての軍隊、警察等を使い、公然たる弾圧、抑圧を繰り返す。

 さらに非公然の不法の攻撃をしかける。

 権力側に与しない者は、それを謀略と規定する。権力の広報部になり下がったマスコミは「過激派のしわざ」と煽り立てる。

 この地松川で何者かが列車を転覆させた。

 三人の機関車乗務員が尊い生命を奪われた。敗戦をへた日本の夜明けは、暗黒の道へ引きもどされた。この年1949年、共産党の「九月革命説」は権力側に利用された。

 松川謀略から50年、日本は新たな戦前を形成した。平和憲法は瀕死の状況にある。デッチ上げられた死刑判決まで受けながら十五年間の不屈の闘いを勝ち抜いた先輩達に最大の敬意を捧げ、犠牲者の冥福を祈り、平和の誓いも新たに50年碑を建立する。

今の若い人が読んだらなんのことやらだろう。

      「権力側」「国家の暴力装置」「弾圧 抑圧」

今朝の毎日新聞を隅から隅まで目を通してもこの文字は見つけることはおそらく出来まい。

夏草や昭和は遠くなりにけり。

そうだ、オールスター競輪はじまってた。「コンドル新聞」買いに行かなくちゃ。

 


松川の塔。

2019-08-15 05:10:17 | 出来事

写真は、松川の塔。

東北本線松川駅から線路沿いを福島駅に向かって歩いて行くと、この塔と遭遇する。上り線のすぐ脇に立っている。

 

1949年8月17日午前3時9分  この西方200米の地点で、突如 旅客列車が脱線転覆し乗務員3名が殉職した事件が起こった。何者かが人為的に引き起こした事故であることが明瞭であった。どうしてかかる事件が起こったか。朝鮮戦争が始められようとしていたとき、この国はアメリカの占領下にあって吉田内閣は、二次に渡って合計9万7千名という国鉄労働者の大量馘首を強行した。かかる大量馘首に対して、国鉄労働組合は反対闘争に入った。

その機先を制するように、何者かの陰謀か、下山事件、三鷹事件及びこの松川列車転覆事件が相次いで起こり、それが皆労働組合の犯行であるかのように巧みに新聞、ラジオで宣伝せれたため、労働組合は出ばなを挫かれ、労働組合は遺憾ながら十分な反対闘争を展開することが出来なかった。

この列車転覆の真犯人を、官憲は捜査しないのみか、国労福島支部の労働者10名、当日同じく馘首反対闘争中であった東芝松川工場の労働者10名、合わせて20名の労働者を逮捕し、裁判にかけ、彼等をを犯人にしたて、死刑無期を含む重刑を宣告した。この官憲の理不尽な暴圧に対して、俄然人民は怒りを勃発し、階級を超え、思想を超え、真実と正義のために結集し、全国津々浦々に至るまで、松川被告を救えという救援運動に立ち上がったのである。この人民結束の規模の大きさは、日本ばかりではなく世界の歴史に未曾有のことであった。救援は海外からも寄せられた。

かくして14年の闘争と5回の裁判とを経て、終に1963年9月12日全員無罪の完全勝利を勝ち取ったのである。

人民が力を結集すると如何に強力になるかということの、これは人民勝利の記念塔である。

 

今、当時の熱を感じることは出来ない。

時の流れと言ってしまえば、それまでだろう。

でもそれでは駄目なような気もする。

かつて寺山修司は、

「書を捨て、町へ出よう」

といった。

「iPadを捨て、町へ出よう」

石には何か刻まれているはずだから。


福島駅周辺、昼呑み3店

2019-08-14 06:46:38 | 飲み屋

写真は、福島駅近くのローゼンケラー。ランチ営業中。

お盆なので、福島に来ている。昨夜は義父と呑み過ぎた。早くから起きて家にいるのもなんだから、松川事件の碑を見てから、金谷川駅まで、炎天下歩いたら、喉はからから、頭はクラクラになった。

 

ヤッホー、ビヤホールではないか。

早速、ビールで乾杯。

ランチメニューのみとのことなので、日替わりの唐揚げランチをご飯無しでオーダー。

唐揚げ、ひとくち食べちゃった。

2軒目、牛かつのお店。

牛かつ。

ハイボール。

レモンサワー。

3軒目。

スパークリングワイン。

ハチノスのトマトソース煮。

ご馳走さまでした。

 


久しぶりにビルの屋上で夜明けを迎えた

2019-08-12 06:14:17 | 仕事

写真は、夜明けの東京タワー。代官山のとあるビルの屋上で、厨房排気ファンの清掃をしていたら、夜明けを迎えてしまった。

ビルの屋上で夜明けを見るのは、ずいぶんと久しぶりだ。

会社を作った頃は、ぎりぎりの人数でやっていたから、冬ならばいざ知らず、夏の時期は暗い頃に仕事が終わることなどは稀で、どこかで夜明けを迎えていた。

こうやって、屋上で夜明けを迎えることも度々あった。

ビルの谷間から昇る朝日もまんざらでもないな。

私はしばし郷愁に浸っていた。

「やぎさん、なにボーっとしてるんですか、早くファンやってくださいよ、それと自分でバラしたんだから、自分で組んでください、頼みますよー」

クニの声が私を現実に引き戻す。

図星だ、小癪な奴め、斯くなる上は、腹いせで、仕事が終わったらそのまま寝ないで、うな鐡に直行してひとりで鰻重食べてやる。