早起き梟のひとりごと

仕事に追われる日々を少しだけ立ち止まって見つめてみると・・・

松川の塔。

2019-08-15 05:10:17 | 出来事

写真は、松川の塔。

東北本線松川駅から線路沿いを福島駅に向かって歩いて行くと、この塔と遭遇する。上り線のすぐ脇に立っている。

 

1949年8月17日午前3時9分  この西方200米の地点で、突如 旅客列車が脱線転覆し乗務員3名が殉職した事件が起こった。何者かが人為的に引き起こした事故であることが明瞭であった。どうしてかかる事件が起こったか。朝鮮戦争が始められようとしていたとき、この国はアメリカの占領下にあって吉田内閣は、二次に渡って合計9万7千名という国鉄労働者の大量馘首を強行した。かかる大量馘首に対して、国鉄労働組合は反対闘争に入った。

その機先を制するように、何者かの陰謀か、下山事件、三鷹事件及びこの松川列車転覆事件が相次いで起こり、それが皆労働組合の犯行であるかのように巧みに新聞、ラジオで宣伝せれたため、労働組合は出ばなを挫かれ、労働組合は遺憾ながら十分な反対闘争を展開することが出来なかった。

この列車転覆の真犯人を、官憲は捜査しないのみか、国労福島支部の労働者10名、当日同じく馘首反対闘争中であった東芝松川工場の労働者10名、合わせて20名の労働者を逮捕し、裁判にかけ、彼等をを犯人にしたて、死刑無期を含む重刑を宣告した。この官憲の理不尽な暴圧に対して、俄然人民は怒りを勃発し、階級を超え、思想を超え、真実と正義のために結集し、全国津々浦々に至るまで、松川被告を救えという救援運動に立ち上がったのである。この人民結束の規模の大きさは、日本ばかりではなく世界の歴史に未曾有のことであった。救援は海外からも寄せられた。

かくして14年の闘争と5回の裁判とを経て、終に1963年9月12日全員無罪の完全勝利を勝ち取ったのである。

人民が力を結集すると如何に強力になるかということの、これは人民勝利の記念塔である。

 

今、当時の熱を感じることは出来ない。

時の流れと言ってしまえば、それまでだろう。

でもそれでは駄目なような気もする。

かつて寺山修司は、

「書を捨て、町へ出よう」

といった。

「iPadを捨て、町へ出よう」

石には何か刻まれているはずだから。