山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

本当にこまっている時こそSOSがだせない

2015年04月01日 | 家族支援
今日から新年度です。
入学や進学、そして社会など、期待や希望そして少しの不安を胸に
今日を迎えている人も多いと思います。
みなさん、未来に向かって進んでいきましょう!
何事も経験は味方だ!



そんななか、ちょっと暗いタイトルのブログですがご勘弁をm(__)m

最近(ケー)のブログは介護者が将来を悲観し
自分がこれまで自分の人生を掛けてまで介護してきた
障がいのある子どもや、兄弟姉妹を殺してしまう内容が続いています。
そして、そうなるまえに何とかしなければならないという事を訴えています。
本当にそう思います。
でも、私も障害のある子を持つ当事者として心中を図ってしまう家族の気持ちが
やっぱり解ってしまいます・・・・・

「手をつなぐ」の特別号、P36の高齢化の所に
【本当に困っているときこそ人はSOSを出せないものです】
と、サラッと書いてありますが、これは本当に実感したことですし、
おそらく、障害のある子を持った親、特に母親はほとんどの人が
経験していることではないかと思います。

随分前、私もブログに書いたことがありますが、
気持ちが沈みすぎていると、誰にも連絡を取りたくなくなるのです。

身に降りかかっている困難をなんとか家族内で解決しよう、
解決しないまでも、もう少しだけ良い方向に向くまでは
私がなんとかしなければ!という気持ちになるのです。
そして、自分がひどい困難に陥っている事は他人には「知られたくない」
という覚悟というか決心というかそんな気持ちに支配されます。

そのような時に、連絡が来なくなって心配してくれている友人から
「元気?最近連絡ないけどどうかした?」というような連絡があったとしても
「うん、大丈夫。ちょっと子どもが不安定で困っているけど、なんとかする」
とか言ってしまうのです。
そうすると、連絡した友人も自分も経験済みの感情ですから
「分かった、早く落ち着くといいね、頑張ってね」
と距離を置く(そっとしてくれる)ようになったりします。

ここで、もしかしたら当事者ではない人たちは
そこで、支援の手を差し伸べてあげないからいけないんでしょ!
と思うかもしれません。
でも、そうではないのです。
そんな時に「大変でしょう。こんなサービスを使ったらどうですか?」
というような事を親切ぶって言われたとしても、
どうしてもわずらわしく思ってしまうのです。
お願いだからそっとしておいて!と思ってしまうのです。
おそらく、どんなに親が年を取ってしまってもそんな気持ちになってしまう
のではないかと、私も今は想像でしかありませんが思ってしまいます。

でも、そっとしておいて良いのはまだ親が余力があるウチの話だと思います。
親が自分の健康に不安が出てきて、自分と子どもの将来を本気で危惧しているのなら
早急に支援の手を差し伸べてあげないと、悲劇が起こってしまう可能性は否めません。

私たち育成会(親の会)は、そんな親の気持ちが分かる会員組織です。
まだ親に余力のあるうちから孤立してしまわないような仕組みがある事を常に発信し、
色々な機関と繋がりを持つように促さなければならないのだと思います。

また、障がいのない”きょうだい”に、親と同じような介護を期待することは
絶対にしてはならないと私は思います。

現代でも、あの子(障がいのある人)にはきょうだいもいるから大丈夫!
という変な期待がこの社会にはまだまだあります。
きょうだいにはきょうだいの人生があります。
きょうだいは、親ではありません。

このことも何とかしないとならないのが育成会(親の会)の役割だとも思います。

今、障がいのある人もない人も普通に暮らせる社会を目指して活動をしています。
育成会(親の会)と福祉協会(施設運営団体)とは上手に連携し協力して
行く必要があるのかもしれません。

ご訪問ありがとうございます(F)


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