みなさん、こんばんは。
今日はいい天気でナンパ日和でした。。
わけあって、ナンパの結果はまた明日ご報告したいと思います。
というわけで、今日も徐州市博物館特別展「惟商是祥」の展示品紹介です。
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この特別展、5月26日までやってるそうなので、後2回ぐらいは行けるかも。。
イメージ 2
殷墟遡源。。。
紀元前16世紀、湯王が夏を滅ぼして商王朝(殷王朝)を建国し、都をハク(今の河南省鄭州市)に定めた。建国の後、何度か遷都を行い、最後は紀元前14世紀の盤庚が商に遷都した。チュウ王の滅亡まで、商代後期はずっとここが都だった。8代12王、273年、ゆえに後人は殷商と称した。
周の武王がチュウ王を滅ぼしてから、しばらくして殷都は廃墟となってしまった。ゆえに歴史書には「殷墟」または「殷虚」と称したが、詳しい場所はわからなくなった。
1899年の甲骨文が発見され、特に1928年に始まった発掘作業によって、歴史書に見える殷墟が今の河南省安陽市西北郊の小屯一帯、恒河両岸辺りであることが実証された。以下略・・・
ツッコミどころ満載の解説ですが、まあいいでしょう。変に突っ込むとまた「反中」だ何だとお叱りを受けるので。。
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こちらは亀の甲羅。。。
ただし、占いに使われたのは、基本的に亀のお腹の甲羅で背中の方ではありません。。
イメージ 4
文字が刻まれているのですが、小さくて読めませんでした。
カメラズームして撮ったのですが、ズームで撮ると必ずといっていいほどぼやけるんですよね。。このネットで買ったカシオのカメラ・・・・やはりニセモノ??
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こちらも亀の甲羅。。。
イメージ 6
やっぱ字が小さくてよめません。
イメージ 7
こちは牛の肩甲骨。。。
赤↑。。。穴が開いてますますね。
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ズームするとこんな感じ。。。
丸い穴(サン)に左側に縦にくぼんだ穴(サク)があるのがわかるでしょうか。。
イメージ 9
こちらは資料写真ですが、甲骨の文字が彫られた裏側には、こんな感じで縦穴と丸い穴があるんですよね。
甲骨で占う場合。。。
イメージ 10
まず、丸い穴(サン)と縦の穴(サン)を作って。。。
熱した棒をここにあてると、甲骨が割れて、その割れ方を見て吉凶を占うわけです。
が。。。。
実は、このサンとサク。。。ほぼ必ずといっていいほど「卜」の字に割れるように「細工」されているので、基本的に占った人の希望する結果がでるんですよね。
殷は占いで政治する「神権政治」をしていたということで、非合理的な政治をしていたように見えますが、実はちゃんと支配者が望む結果がでるように、うまく細工してたわけですね(このことはある日本の学者さんが証明されました)。
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こちらの卜骨は。。。
字が大きい!
イメージ 12
なんとか読めそうですね。
乙亥の日に占なった。農作物の実りを河(河の神、恐らく黄河)に求めたが、実りを受けることができるだろうか?
作物の収穫を占なう卜骨ですね。
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こちらは、女将軍と言われる婦好の紹介。。
1976年に彼女の墓が発見されて話題になりました。。。
婦好墓についてはコチラ↓
ttp://blogs.yahoo.co.jp/xuzhoumoemoe/34714076.html
イメージ 14
彼女に関する甲骨ですが、やはり字が小さくて読めませんでした。
イメージ 15
こちらは有名な甲骨文。。
辛巳の日に占なった。婦好に3千の兵を徴集させ、旅に一万の兵を徴集させて……を呼伐(討伐or敵にかける呪術)させるに……
あと、婦好に関しては、生まれる赤ちゃんが男か女かを占なったものもあります。ちなみに男が生まれたら吉・・・男尊女卑の時代だったんですね。
今日はここまで。。
明日はナンパの結果ご報告です。
お楽しみに。
今日はいい天気でナンパ日和でした。。
わけあって、ナンパの結果はまた明日ご報告したいと思います。
というわけで、今日も徐州市博物館特別展「惟商是祥」の展示品紹介です。
イメージ 1
この特別展、5月26日までやってるそうなので、後2回ぐらいは行けるかも。。
イメージ 2
殷墟遡源。。。
紀元前16世紀、湯王が夏を滅ぼして商王朝(殷王朝)を建国し、都をハク(今の河南省鄭州市)に定めた。建国の後、何度か遷都を行い、最後は紀元前14世紀の盤庚が商に遷都した。チュウ王の滅亡まで、商代後期はずっとここが都だった。8代12王、273年、ゆえに後人は殷商と称した。
周の武王がチュウ王を滅ぼしてから、しばらくして殷都は廃墟となってしまった。ゆえに歴史書には「殷墟」または「殷虚」と称したが、詳しい場所はわからなくなった。
1899年の甲骨文が発見され、特に1928年に始まった発掘作業によって、歴史書に見える殷墟が今の河南省安陽市西北郊の小屯一帯、恒河両岸辺りであることが実証された。以下略・・・
ツッコミどころ満載の解説ですが、まあいいでしょう。変に突っ込むとまた「反中」だ何だとお叱りを受けるので。。
イメージ 3
こちらは亀の甲羅。。。
ただし、占いに使われたのは、基本的に亀のお腹の甲羅で背中の方ではありません。。
イメージ 4
文字が刻まれているのですが、小さくて読めませんでした。
カメラズームして撮ったのですが、ズームで撮ると必ずといっていいほどぼやけるんですよね。。このネットで買ったカシオのカメラ・・・・やはりニセモノ??
イメージ 5
こちらも亀の甲羅。。。
イメージ 6
やっぱ字が小さくてよめません。
イメージ 7
こちは牛の肩甲骨。。。
赤↑。。。穴が開いてますますね。
イメージ 8
ズームするとこんな感じ。。。
丸い穴(サン)に左側に縦にくぼんだ穴(サク)があるのがわかるでしょうか。。
イメージ 9
こちらは資料写真ですが、甲骨の文字が彫られた裏側には、こんな感じで縦穴と丸い穴があるんですよね。
甲骨で占う場合。。。
イメージ 10
まず、丸い穴(サン)と縦の穴(サン)を作って。。。
熱した棒をここにあてると、甲骨が割れて、その割れ方を見て吉凶を占うわけです。
が。。。。
実は、このサンとサク。。。ほぼ必ずといっていいほど「卜」の字に割れるように「細工」されているので、基本的に占った人の希望する結果がでるんですよね。
殷は占いで政治する「神権政治」をしていたということで、非合理的な政治をしていたように見えますが、実はちゃんと支配者が望む結果がでるように、うまく細工してたわけですね(このことはある日本の学者さんが証明されました)。
イメージ 11
こちらの卜骨は。。。
字が大きい!
イメージ 12
なんとか読めそうですね。
乙亥の日に占なった。農作物の実りを河(河の神、恐らく黄河)に求めたが、実りを受けることができるだろうか?
作物の収穫を占なう卜骨ですね。
イメージ 13
こちらは、女将軍と言われる婦好の紹介。。
1976年に彼女の墓が発見されて話題になりました。。。
婦好墓についてはコチラ↓
ttp://blogs.yahoo.co.jp/xuzhoumoemoe/34714076.html
イメージ 14
彼女に関する甲骨ですが、やはり字が小さくて読めませんでした。
イメージ 15
こちらは有名な甲骨文。。
辛巳の日に占なった。婦好に3千の兵を徴集させ、旅に一万の兵を徴集させて……を呼伐(討伐or敵にかける呪術)させるに……
あと、婦好に関しては、生まれる赤ちゃんが男か女かを占なったものもあります。ちなみに男が生まれたら吉・・・男尊女卑の時代だったんですね。
今日はここまで。。
明日はナンパの結果ご報告です。
お楽しみに。
多いですね。。。占いに使った甲骨は初めて見ました!
それと、殷都が廃墟となってしまって「殷墟」だったんですね。。。
習ったのに忘れてるだけかもしれませんが・・・殷墟と呼ばれる意味を考えませんでした^^;
殷墟の名は史記にも出てくるんですよね。ここで項羽と秦の将軍、しょうかんが和睦したんですよね。