みなさん、こんばんは。。
今日も2006年7月に行った河南省は安陽市の旅行記を書きたいと思います。
20006年7月2日。。。
安陽の一番の見所殷墟博物苑(今は世界遺産)を見終わった後は。。。
袁林にやってきました。。。
袁林・・・・。中華民国初代総統の袁世凱の陵墓です。。
袁世凱は清末・民国初期の軍人にして政治家・・・・一時は帝政を復活して中華帝国の皇帝を名乗るのですが、周囲や外国からの猛反対で退位・・・失意のまま死んでしまう人物です。
一時、皇帝に即位していただけあって、お墓の敷地は広大。。。でも、恐らく今残っているのは陵墓の一部だけで、陵墓の外延は壊して再開発したのではないかと思います。
長い墓道を歩きます。。。
日本人観光客もたくさん来るのでしょうか、日本語ガイドもいるようです。
まあ、僕はガイドは雇いませんでしたが。。
碑石。。。
袁林の紹介がありました。。。
なになに。。。
簡単に要約すると。。
一応、故人のお墓なんですけどねえ・・・袁世凱、中国での評価は大悪人!袁世凱の悪口があれこれ書かれてました。。。
それから。。。
この紹介によると。。。
1952年、毛主席(毛沢東)がこの袁林の視察に来た・・・ようです。
その時のやりとり。。。
安陽の人民「毛主席!こんな大悪人のお墓なんか破壊してしまいましょうぜ!」
毛主席「まあ待て!反面教師として残して、後世に語り伝えよ」
こうして袁林は破壊されず今に伝えられたのでした。めでたし、めでたし(すんません、この部分もかなりはしょって書いてます)。。。
袁林は袁世凱の陵墓であると同時に、安陽市博物館でもあります。
この建物には、安陽で出土した殷代の青銅器がゴロゴロ置きっぱなしにしてありました。
殷代の青銅器。。。。すんません、実は昔ウイルスを駆除したときに、博物館の青銅器の写真が削除されてしまったので、変わりに同じく安陽出土で同時代の青銅器を載せておきました。
で。。。
青銅器の解説には1952年、毛主席の視察のときのやり取りが書かれていました。。
安陽市民「毛主席、悪逆非道な殷王朝の青銅器なんて捨ててしまいましょうぜ!」
中国はみなさんご存知共産主義の国です。。。共産主義の考えは、みんなが平等だった原始社会から、残虐非道な奴隷制社会に移行し、さらに封建制の時代、資本主義の時代を経て、最後に共産主義の平和な世の中が来るというもの。。
で。。。
殷代はというと・・・最低最悪の奴隷社会の時代にあたるんですよね。
だから市民たちは。。。
「毛主席、悪逆非道な殷王朝の青銅器なんて捨ててしまいましょうぜ!」
と進言したわけです。。
ところが。。。
毛主席「まあ待て!反面教師として残して、後世に語り伝えよ」
こうして青銅器たちは破棄されず今に伝えられたのでした。めでたし、めでたし。
そんな地元民に評判の悪かった殷代の遺跡・文物も、今では世界遺産として町おこしに大いに役立ってるわけですから、面白いものです。。
博物館の展示を見た後は。。。
更に奥に行って。。
袁世凱の遺冠塚を見て帰りました。。
7月3日朝。。
バスに乗って、徐州に戻りました。。。
戻りのバスで女子高生をナンパして、仲良くなったのですが、その話しは今回は触れないでおきます。
最後。。。
お昼ごはんのぶっかけ弁当。。。
いつも買っているぶっかけ弁当のお店が人でいっぱいだったので、初めてのお店で買ったのですが。。
いや、味は激ウマだったのですが。。。
食後2時間たったころから、お腹の調子が悪くなって、オナラが止まらなくなってこまってます。。
明日には治ればよいのですけどねえ。。。