安陽2回目です。。。
前回書き忘れましたが、鄭州駅の写真が無いのは撮る時間がなかったからです^^;
余裕をみてバスに乗ったのですが、予想以上の渋滞で・・・
(通常15分ほどで駅に着くところ40分もかかってしまいました)
駅に着いて写真どころではなく猛ダッシュ!
チケットと身分証の検査に、荷物検査・・・飛行機に乗るのと
大差ない検疫みたいなのがあって、人が多いと時間もかかるので焦りました
幸い検査の方は予想に反して人が少なく、待合室に辿り着いた時には
まだ20分ほど余裕があってホッとしましたが
写真は撮れず仕舞い。。。渋滞知らずの電動バイクで行くべきでした。
さて、安陽2回目写真が多くなりますが
一気に参ります。。。
↑刻辞卜骨・・・牛骨に刻まれた占いの文字
↑こちらは玉で文字が造られています

(彫った文字に玉を埋め込んである!)
↑亀の甲羅も数多く・・・
↑こちらは、甲骨文字の代表のように司母戊鼎とともによく
ポスターやパンフになったりしてます
↑「司母戊鼎(后母戊鼎)」1939年3月出土・・・世界最古で最大といわれています
(国外不出)
サイズは、W112×D79.2×H133・・・(単位はcm)
重さ832.84kg!、方形部分の厚みは6cmとの事。
この重厚感伝わりますでしょうか。。。
5年ほど前に鄭州でちょっとした博覧会があった時、安陽市のブースに
この司母戊鼎のレプリカが展示されていて、ぜひ実物を観たいと思っていました

(河南博物院で国宝展が開催した際も、展示されませんでした)
↑この「
司母戊鼎」は、ここ安陽と北京の中国国家博物館とで
一定の期間ごとに交互に展示されてる?ようで・・・中国国家博物館では
「
后母戊鼎」と称されています。
それは出土した当初、政治家で歴史家でもあった郭抹若氏が、鼎の内側にあった
「司母戊」の文字をとり命名したが、近年になって「司」の文字は「后」との解釈の方が良いと
中国国家博物館の新館がオープンした折、「后母戊鼎」と改名して展示されたようです。。
オープン(2012年)の模様や改名はテレビニュースになり
改名の件はかなり論争が起こったらしいです。。。(全然知らなかった

)
殷墟博物館では、以前のままの名称で展示されています。
↑美しい水蓮が咲いた池のほとりを通って次の展示室へ。。。
その前に池のほとりにあった小さなお店で水とアイスを買って小休止^^;
↑甲骨文碑林
↑出土した甲骨文が分かりやすくはっきりと石碑にされていました
(分かる方には分かりやすいですね。。。

)
↑殷代車馬展示庁(殷墟乙七基址)
↑車輪に細い溝があるのが分かりますでしょうか・・・
これは細いレールの上を移動する時のものだったとか。。。
現在の電車の先駆けであるとか・・・と
となりで他の観光者のガイドさんが話していたと、娘が通訳してくれました^^;
↑馬の骨とともに人骨も一緒に出土、展示されていました
↑屋外には「殷墟乙八基址」
↑「北組宗廟祭祀坑」
乙七、乙八は、宮殿跡で、この二つの宮殿を建てる際に
生贄のためになのか、基礎に埋められた人や動物や馬車などだったようです


長くなっても今回で安陽の旅の模様を終了させるつもりだったのですが
続きは次回にしたいと思います。。。
蛇足ですが・・・中国の鉄道は、ホームの混雑を回避するために
ホームへ行く改札口前に大きな待合室があり、そこで電光掲示板で案内が
あるまで待ちます。。。でもそれ以前に・・・
駅舎に入ってから、検疫みたいな・・・と最初に書きました荷物検査があり
そして待合室に入る時にも駅員によるチケット検査を経て、ようやく最後に
ホームに行く改札口・・・となり、電車に乗るまでに改札口を3回通る感じです。。。
行先や便によっては、ものすごい混雑がありますので
ご利用の際には、時間に余裕を持った方がいいです。
