みなさん、こんにちは。
どうしても青島行きまでに旅行記を終わらせたいので今日はもう一本記事を書きます。よろしければ、お付き合いください。
7月18日(水)夜。。。
翌日は世界遺産五台山の日帰りツアーに参加しようと思って旅行会社に行きました。
ところが。。。
旅行会社のおじさん「五台山の日帰りツアーは280元(約3360円)だよ」
僕「ええっ!だって日帰りツアーだよ。何でそんなに高いんだよ」
おじさん「そりゃそうさ。だって五台山の入場料だけで240元もするんだから」
うーん。。。日帰り旅行だから200元以内で行けると思ったんですが、こんなに高かったとは。。
とりあえず、ツアー申し込みの前にホテルの老板(オーナー)に280元という価格が妥当かどうか聞いてみることに。。。
すると。。。
老板「そのツアー怪しいよ。だって、240元というのはあくまで入山料だけで、観光スポットは別にお金がかかるはずだし、それに送迎バス、昼飯の料金入れたらとても280元で収まるはずがない。絶対にツアー料金以外に請求されると思うよ」
とのこと。。。
うーーん。。。本当はツアーを利用せずに自分で行くのが一番良かったのでしょうが、腰痛持ちで重いリュックを背負って山登りするのはキツイし(個人で行くと少なくとも一泊二日の旅程が必要で山中泊となるので、これまでのように荷物をホテルに預けていくというわけにはいきません)、何といっても時間的にも徐州に帰る日が近づいていたので、じゃあ、久しぶりに日帰りツアーを利用するか・・・・と考えていたのですが。。。
日帰りツアーだと行き帰りにお土産物屋に連れて行かれる時間を含めると、実質五台山で観光できるのは4、5時間程度・・・それで280元を出すのももったいないよなあ。。。
ということで、今回は五台山、堂々と諦めました。。。
じゃあ、19日はどこへ行こうか。。。ホテルの老板に相談にのってもらったのですが、すでに行った場所だったり、太原市内から遠すぎたりと・・・なかなか決まりません。。
で。。
結局、ガイドブックに載っていた晋陽古城遺跡に行くことにしました。
晋陽古城。。。昔の太原の中心地だった所で、今は太原市の郊外、しかもかなり辺鄙な場所にあります。今でも明代の城壁跡が見られるということです。。
7月19日(木)。。
568番のバスで。。。
太原郊外にやってきます。。。
一応市内地図にも載ってる地域なのですが、再開発のためか、地図とはかなり変わっていました。
ええと。。。この辺りは康庄通りのはずなんだけど。。。
おおっ、木に康庄大道って彫ってある!間違ってはないようです。
ただ、古城はすでに通り過ぎてしまっていたようなので、バスで乗ってきた道を少し戻りました。
すると。。。
古城に関する看板がありました。。。
停留所一つ早く降りてればちょうどよかったのかな。
看板には。。。
1、古城の再開発完成後のイメージ画像が。。うーん、ここもそのうちテーマパークのような所になってしまうのかな。。。
2、これは城門のようですが、恐らくこれが明代の城門なんでしょうね。
というわけで、とりあえずは2の城門に行くことを目標に奥に進んで行きました。
ちなみに赤↓の二人・・・欧米系のバックパッカーカップルをイメージしているようで、外国人も来るような観光地にしてやろうという意気込みが感じられるのですが、変に再開発するのだけはやめてほしいですね。
しばらく歩いていると。。。
城壁のような土塁の残骸がありました。。。説明文には南門と書いてありましたが。。。ほとんど原形留めていませんねえ。。
南門を出てすぐ。。。
お廟がありました。
龍天廟。。。。一体誰が祀られているんでしょう。。。
というわけで、中に入ってみたところ。。。
「誰だ??」
と管理人らしきおじさんが事務室の中から声をかけてきました。
僕「いや、ちょっと見学したいだけなんだけど。。晋陽古城の城門ってどうやっていくの?」
すると。。
おじさん「入れ!」
言われるままに事務室に入ると。。。
おじさん「座れ!」
そして。。。
いろんな本を持ってきて古城の説明を始めました。。。
どうやらこのおじさん、龍天廟の管理人であると同時に郷土史家でもあるみたいです。
僕がさっきの4枚目の2の写真を見せて、ここに行きたいことを告げると。。。
おじさん「これは北門だね。さっきの南門(土塁の残骸)の通りをまっすぐ歩いてたらそのうち着くよ」
と教えてくれました。
おじさん「ところで、お前はどこから来たんだい?」
僕「ああ、僕は中国人じゃなくて日本人だよ」
おじさん「そう。日本人なら山西大学の留学生やら考古学者がここに来たことがあるよ」
僕「でも僕は考古学者じゃないから。単なる旅行さ。。。今は江蘇省の徐州で日本語の教師してるんだ」
おじさん「なにーーーーっ!徐州~!彼の故郷じゃないか!」
おじさん、何故か急に興奮!
僕「彼??」
僕が聞き返すよりも早く、おじさんは立ち上がって。。
お廟に向かいます。。
そして。。。
扉を開けて。。。
おじさん「彼だよ。彼の故郷だよ。ここには徐州人の彼が祀られているんだ」
僕「????誰???」
おじさん「漢の劉邦の息子、文帝だよ。」
劉邦は漢の初代皇帝で徐州の沛県(正確には豊県ですが)の出身。文帝が生まれたのも確か沛県だっけ?
僕「ああ、あの文帝!でも何でこんなところに文帝のお廟があるの?」
おじさん「それはな。昔太原は代と呼ばれていたんだけど、文帝が皇帝になる前、彼がこの代の王様だったんだよ」
そういうことか。。。
おじさん「(1)こっちは清代150年前に描かれた壁画。。。(2)こっちは最近俺が頑張って再現した壁画」
おじさんも頑張ってますね。。
この後、おじさん、色々とお廟について説明してくれたのですが。。。
この案内版に載ってることと大体一緒なので興味がある方は呼んでみてください。。。
この後。。。
おじさんには古城と龍天廟のパンフレットをいただいてしまいました。おじさん、ありがとう。。
おじさんと別れて。。。
北門に向かいました。。
途中。。。
関帝廟を見たりしながら行きます。
着きました。。。
先ほどの案内版のイラスト(4枚目の画像の2)とほぼ同じですね。
古い町並みも残っていました。。
別の門(恐らく西門)を見学していると。。。
お寺を発見。。。
参拝することにしました。
と。。。
強敵が吠えてきました。。。
あまりの恐怖にタジタジしてると。。。地元のおじさんが強敵を叱ってくれました。
その間に参拝をして、そそくさと逃げました。。
こちらは文廟(孔子のお廟)。。。かなり立派ですが、ドアがあいていたので入ってみたら、管理人らしきおじさんに怒られたので、すぐに退散しました。
こちらは建築中なのですが。。。
木造建築のようです。。。何を建てるのかな。。。
↓紹介がありました。。。
段氏という一族の宗祠を建設するようなのですが。。。
イタリアのカップルが描かれてました。。。
やはり世界的な観光地を目指しているようだな、ここ。。
後は。。
ドラミちゃんなどを発見して、とりあえず城内の見学を終えました。
続いては。。。
お城から出て東側をずっと歩いて行きます。。
営城鎮という村を入って。。。
途中。。。
仏塔を見学しながら。。
ずっとすすんでいくと。。。
九龍廟に辿り着きました。。。
九龍廟は金代の創建、明清代に改築されましたが、金代の建築様式を残す古い建物です。
ここは観光地ではなく(いやさっきの古城も観光客なんて一人もいませんでしたけどね)、地元の人たちが、中国将棋をしながら遊んでいました。。
その時、ブロ友のど田舎さんから電話がかかってきたので、しばらくど田舎さんと電話で話して。。。
電話が終わって、じゃあそろそろ九龍廟から出ようかな・・・と思っていると。。。
「ねえ、君日本人だよね」
とある人物が僕に話かけてきました。。。
この人物は一体何者なのか。。。
それは次回、旅行記最終回のお楽しみです。。。
いよいよ今回の山西旅行最大の運命の出会いの話になります。
みなさん、お楽しみに!