
これまでは、オリンピック施設を紹介してきましたが
今回は札幌オリンピック開催に伴って整備された橋と道路です。
主要会場である、オープンスタジアムやアイスアリーナへの交通アクセス
を良くする為に国道230号線と道道札幌支笏湖線(現・国道453号線)を
結ぶ道路が造られました。(通称・五輪通り)


真駒内の方から川沿の方へ五輪通を進んでいくと、まずあるのが
「五輪小橋」

真駒内川に架かる橋で、昭和45(1970)年12月 竣工
橋には、彫刻が4つ設置されています。
佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう) 作
「えぞ鹿」 「雪娘」


本田明二 作
「栄光」 一対


真駒内公園の中を通り抜けています。

後ろに見えているのは、 第11回冬季オリンピックモニュメント
「雪華の像」 本郷新(ほんごうしん) 作 です。

豊平川に架かるのが「五輪大橋」
こちらも、昭和45(1970)年12月に竣工しました。

五輪大橋にも、彫刻が4つ設置されています。
本郷 新 作
「花束」 一対


山内 壮夫 作
「飛翔」 一対


各人、北海道にゆかりのある彫刻家です。
日立製作所の寄贈により製作されたようです。
五輪大橋・小橋は、オリンピック開催時に大会役員や選手が通行する橋で
あるため、大会にふさわしい橋であるとともにオリンピック開催を永く語り継
がれるように、彫刻を設置することになったそうです。

↑ 日立の電子レンジ

こちらは、札幌オリンピックの時に閉会式とフィギュアスケート・
アイスホッケースケートの会場になった場所です。
真駒内屋内競技場(真駒内アイスアリーナ)

こちらも昭和45年(1970年)12月に竣工されました。
現在は、フィギュアスケートやアイスホッケー・バトミントンやテニス・
ハンドボール・バレーボール・バスケットボール・卓球などの練習設備があります。
屋内での集会やコンサートにも利用されています。
こちらも施設の管理が北海道に管理移譲されて、命名権(ネーミングライツ権)が北海道セキスイハイム株式会社に売却されました。
現在の正式名称は「真駒内セキスイハイムアイスアリーナ」になります。
命名権の売却に伴って、両施設の入り口前に掲げられてきた五輪マークが
外されました。日本オリンピック委員会(JOC)から、商業的な名前の施設への
五輪マークの掲出を認めなかったからです。
詳しくは、こちらのページを・・・。

ここにも、セイコーの時計塔がありました。

訪問した日は、一般開放日ではなかったので・・・中には入れませんでした。
アリーナの中には、オリンピックの展示コーナーがあるそうで、こちらに
外された五輪マークがあるそうですが・・・。
某男性アーティストのライブがありました。
写真の左側に映っているトラックにヒントが・・・。

私がアリーナを眺めていると、外国人のグループがアリーナの前で
記念撮影をしていました。
札幌オリンピック・札幌を代表する建物のひとつ
なんですね!
つづきます。
無事、研修から帰って参りました・・・。帰りに寄り道をして、東京の友達にも会ってきました・・・。
札幌オリンピックの時に、開会式とスピードスケートの会場になった場所
です。
真駒内屋外競技場(真駒内オープンスタジアム)

昭和45年(1970年)12月1日に竣工されました。
現在は、冬季はスピードスケートリンク 夏季はテニスコートやフットサルコート
として市民に利用されています。
また、野外コンサートなどのイベントにも使われます。
施設の管理が北海道に管理移譲されましたが、昨年の2月に道の財政難
から命名権(ネーミングライツ権)が売却されました。
オープンスタジアムとアイスアリーナの二つの命名権が3年間
(平成19年4月1日~平成22年3月31日)2100万円(消費税込)で
北海道セキスイハイム株式会社と契約されました。
現在の正式名称は「真駒内セキスイハイムスタジアム」になります。
ここにも、セイコーの時計塔がありました。

訪問した日は、一般開放日ではなかったので・・・中には入れませんでした。
(東側通用口から撮影)

聖火台にも、札幌オリンピックのマークがあるらしいですが・・・。


以前に撮影した、札幌オリンピックの優勝者銘板

市民も利用できるオリンピック施設が残っています。
いい街ですね 札幌って。
しつこいですが、まだ続きます。

昨日、最後に載せた4枚の写真(五輪団地A・B棟)の建物がある場所より
小高い丘の上にも、札幌オリンピックの施設して使われた建物があります。
札幌オリンピック当時は、プレスセンターとして
使われたそうです。
「北海道青少年会館」
(札幌市南区真駒内柏丘7丁目8番1号)
(※ 新札幌にある札幌市青少年科学館とは全く関係ない施設です)
この建物は、次代を担う青少年の健全育成を願い、その活動の拠点として
計画され、昭和46(1971)年に完成しました。
昭和47(1972)年に札幌オリンピックのプレスセンタ-として一時利用された
後に同年5月1日『真駒内ハイツ北海道青少年会館』として開館しました。
現在は国から北海道に施設譲渡されています。

上の写真 本館には、税関・郵便局・外国通信社が入りました。
下の写真 別棟の体育館には、印刷室・電送写真機材や電算機の端末機・
テレックスが設置されました。

今は緑に囲まれた静かな場所ですが、ここから札幌五輪の様子が
全世界中に発信されたんですね・・・。
明日4日~6日まで研修の為、東京に出張になってしまいました。
次回の更新は土曜日以降に・・・。
6日は研修が昼で終わるので、鉄の聖地に行こうかな~。
もちろんまだまだ続きます。