また出ましたよ~カツゲンの季節限定ものが
今日、コンビニで発見しました。
夏季限定の 「シークァーサーカツゲン」に続く今回は・・・
「ぶどうカツゲン」
味は・・・ぶどうジュースをカツゲンで割った感じです
(当たり前な表現ですいません・・・)
濃厚な味は普通のカツゲンと変わりません。
秋季限定 と記載があります。
雪が降る前にお店へ急がないと!
って北海道限定商品ですので・・・北海道のお店へ・・・・。
勝手に限定モノ カツゲンを応援します!
製造 日本ミルクコミニュティ(株) 500ml ¥105
札幌での下宿跡にも、銅像がありました。

下宿は札幌停車場に程近い、札幌区北七条西四丁目四番地田中方。
現在の札幌市北区北7条西4丁目4番地 札幌クレストビルのある場所です。

当時この場所には、田中サトと言う未亡人が下宿を営んでたそうです。
啄木は、その下宿の六畳間の一室を間借りしていたそうです。
当時の建物は昭和7年に取り壊されて、当時の面影を知ることは出来ません。
2週間で札幌を離れましたが、妻と娘と三人でこの下宿で生活することも考えて
いたようです。これは当時の書簡にも記されています。
札幌は寔(まこと)に美しき北の都なり
当時、勤めていた北門新報に印象記を残しています。
以上、啄木シリーズ 完
今日もいい天気でした~今日の札幌の最高気温30.2℃
お盆休みをもらって仕事は休みです。
なんとなく大通公園へ向かう。
駅前通(北洋銀行大通支店前)を歩いていたら、前の課長が向こうから歩いて
きました。
「お~!久しぶりだね、元気かい?」 「はい・・・暑いですね~」
と、当たり障りのない会話で・・・。
若くして飛び飛びで出世して、あと一歩と言うところで支店長に・・・のはずが
先月の人事で閑職に。
人事って報復されるんだな~と、実感しました。
大通公園西3丁目に、国語の教科書に出てくるある人の記念碑があります。
その人とは・・・石川啄木 です。
石川啄木と言えば、岩手県生まれの歌人です。職を求め北海道各地を転々とし
私の中では悲劇の歌人のイメージが強いですね。
石川啄木は、明治40(1907)年9月14日に札幌停車場に到着しました。
北門新報(新聞社の名)の校正係として勤務し、札幌に滞在しましたが
その間、わずか2週間! その後は小樽へと転居していきます。
2週間しか札幌にいなかったんだ~短っ!
と記事を作るのに調べて、びっくりです。
大通の啄木像は、啄木の没後70年を記念して昭和57(1982)年に創られた
ものだそうです。
しんとして幅廣(はばひろ)き街の秋の夜の
玉蜀黍(たうもろこし)の焼くるにほひよ
啄木の札幌の印象が想像できる一句です。
その1ということは・・・続きますよ
今日、家族で墓参りに行きました。
と、言っても我が家のお墓は札幌の隣町の江別市にあります。
車で30分も走ると着いてしまいます。
11:00頃、お墓に到着。父方・母方のお墓もあるのですぐに終了!
母方のお墓をお参りしていたら、祖母と叔父・叔母がやってきました。
「あとで、行くから~!」と言い残し、お墓の近くにある「旧・町村農場」
(江別市いずみ野25番地)へ。
スーパーで買ったお弁当をベンチに座り、食べる。
ちなみに、「旧・町村農場」とは・・・
石狩郡(現・石狩市)樽川で酪農を行っていた、町村敬貴(まちむらけいき)が
昭和3(1928)年に江別町対雁(現・江別市いずみ野)に農場が移転したのが
始まりで、この地で酪農を営んでいました。
ホルスタイン種の導入と改良に力を注ぎ、酪農の近代化に尽力したとの事。
平成4(1992)年に同じく江別市の篠津に移転しました。
ここには、牛舎と旧邸宅と製酪室が残されています。
牛舎の中には、昔使っていた農機具などが展示されています。
ちなみに左の方に写っている銅像が、町村敬貴です。
この牛舎は、昭和2~3年頃に建てられたものだそうです。
そしてこれが、旧町村邸です。
中には、応接室と町村牧場の歴史が展示されています。ここで、農場の
製品(牛乳等)を買うことも出来ます。
小さいですが、製酪室と呼ばれる、バター作りをしていた建物も残って
います。
4月29日から11月23日まで開館しています。入場無料です。
江別市教育委員会が管理しています。
駐車場もありますが、公共交通機関ですと・・・
JR江別駅から北海道中央バス江別4番通線「野幌駅前」行き「第3中学校」
下車、徒歩1分です。
※ちなみに、町村敬貴の実弟は町村金吾といい、北海道知事や自治大臣を歴任した人物で
その次男の町村信孝は、現役の自民党の衆議院議員で前・外務大臣です。
私は自民党関係者ではありませんのであしからず・・・。
公園のようになっていますし・・・。
江別に行った時には寄ってみてはいかがですか?
札幌の北部、篠路駅の周りには、レンガや石造りの倉庫が並んでいます
(北区篠路3条6~7丁目付近)。

現在は住宅が立ち並んでいるこの辺りは、その昔水田や麦畑が広がる農村
(篠路村)でした。
そんな農村地帯だった篠路村に、昭和9年11月に鉄道が開通しました。
現在の札沼線(学園都市線)です。
農村の中に出来た篠路駅は、たまねぎを始め野菜の一大出荷基地となりました。
この時、野菜倉庫が駅周辺に造られたそうです。


市内では、駅の脇にこのように倉庫が残っているのは、篠路駅周辺くらいでは
ないでしょうか?
独特の雰囲気を醸し出しています。
※ 昭和30年、篠路村は札幌市と合併しました。