11月30日 (土) 続きです
清州駅にタクシーで到着。
名古屋に行こうかな~と思ったら、駅前に看板が。
清州城 →
せっかくなので行ってみようと思い、案内看板が出ている方向へ。
案内看板が途中に何個も出ています。駅から歩く事15分
小高い丘の上に、神社と碑が。
清洲古城跡公園
(清須市清洲古城448)
応永12(1405)年、尾張国の守護職であった斯波義重が、下津城(稲沢市)の別郭として
建てられたのが清須城の始まりといわれています。
文明8年(1476)戦乱により下津城が焼失し、文明10年(1478)守護所が清須に移転して清須が尾張国の中心地となります。
弘治元年(1555)に織田信長が那古野城(なごやじょう)から入城し、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いに勝利した信長は
清須から天下統一への第一歩を踏み出しました。
天正10(1582年)に本能寺の変で信長の跡目を決める「清須会議」がこの地で行われました。
城主となった次男、信雄によって改修された清須城の城郭は、天守を備え東西1.6km、南北2.8kmにも及ぶ巨大なもので
郭域の中に城下町のあらゆる機能を備えた城塞都市として過去最大の規模のものとなります。
その後城主は、織田家から豊臣秀次(関白)、福島正則(秀吉子飼の大名)と移り、関ヶ原の戦いでは、東軍の最前線の城
として重要な軍事拠点となります。
関ヶ原以後、城の主は松平忠吉(家康四男)、徳川義直(家康九男)と変遷し、この頃の清須城下は人口6万人を数える賑わい
を見せ、清須城は「天下の名城」と讃えられました。
慶長15(1610)年に徳川家康は、清須城廃城と名古屋城築城を命じ、町の建物、町の機能全てが移転
する「清須越え」が行われました。
これにより尾張の政治・経済・司法の中心は清須から名古屋へ移り、清須城とともにその城下町は歴史から姿を消し去りました。
清洲越しの後、現在に至るまで清洲城跡地として保存され、幕末の清洲城跡顕彰碑2基や、信長を
祠る小社があります。
清州城の石垣跡
五条川の対岸には
清州城 (きよすじょう)
(清須市朝日城屋敷1-1)
平成元年(1989年)に旧・清洲町の町制100周年を記念して、
外観や規模は、実在した当時を想像して建てられた天守閣です。
(本当の天守閣は、古城跡公園の辺りにありました)
現在公開中の映画(2013.11公開) 「清州会議」 (三谷幸喜監督) の実際の舞台です (ロケ地ではありません)
天守閣の中は展示室になっていますが、訪問した時間が遅くて入れませんでした。
開館時間 9:00~16:30 (入館は16:15まで)
閉館日 月曜日〈休日の場合は直後の平日〉 12月29日から31日
桜の花見期間・清洲城ふるさとまつり期間は開館
入館料 大人 300円 小・中学生 200円 幼児 無料
再び、清州駅まで戻り、名古屋へ向かいました。
まだ 続きます。