現在は住宅が密集する、札幌市白石区本通。
この場所でも、明治初期にはヒグマが出没して農作物や人間が襲われるという
事件が起きていたそうです。
この碑がある場所、東白石会館(札幌市白石区本通13丁目南10-1)
では二度も熊が出没し討取られています。
一回目は、明治5(1872)年に穴ごもりから出てきた熊を二人が討取っています。
二回目は、明治29(1896)年9月2日、付近の笹薮に住み着いた熊がトウモロコシ
を食い荒らす被害が出ていた中、住民が熊に出会い討取ろうとしましたが、逆に
首と頭に怪我を負わされ、この方は翌日亡くなってしまいました。
さらに、別な住民二人も熊と格闘し怪我を負ってしまいました。
当時の白石村では、札幌警察署に応援を求めた他に、アイヌの熊討ちを二人
雇って、村総出で熊狩りをしました。
9月4日、村中総出で空砲を撃ち、熊を追い出してついに仕留めたそうです。
113年前には、この場所に熊が・・・。
(東白石会館より付近を撮影)
札幌で最悪のヒグマ事件は、明治11(1878)年に軽川(手稲)で馬を襲い、
円山で炭焼小屋の屋根を破壊する暴れグマがいるとのことで、11月17日に
猟師を集めて追跡することにしました、足跡を追うと、藻岩山の中腹から
豊平川を渡り、真駒内、月寒と続いていましたが、夜になったので追跡を
諦めました。翌18日には、ヒグマは白石村を通過して夜に丘珠村に現れて
暴れました。
12月5日、丘珠村の炭焼小屋を襲い、主人・赤ん坊・下人を死亡させ、妻に
重傷を負わせました。琴似の屯田兵が出動し、翌日射殺されました。
その熊は、北大植物園の博物園に剥製となって展示されています。
札幌市中心部には、熊は出没しませんが、郊外の山には
今もヒグマが出没します・・・。