私こと爺いがサラリーマン生活を回想したとき、身に染みて思い出される当時の真の上役と認める方から諭された次の言葉が思い出される。それは「○○(私の名)君、今日から君には課長として活動してもらう。そう中において、君の為したこと(作為)、為さなかったこと(不作為)の両方の責任があることを承知したまえ」という様な言葉であったと思う。
国であれ、軍隊であれ、企業であれ、何らか組織体においては、その組織体の指揮命令と権限分掌、自浄作用を持たぬと、組織は秩序維持を失い分裂せざるを得なくなるのは自明のことだ。
ここで特に強調したいのは、何らかの問題を発見した時の不作為のことだ。問題の程度にもよるだろうが、ここでこれを問題視しなければ、将来において組織の価値を問われるもしくは世の信頼を失墜するという問題は、例えどんな迫害が予見されたとしても、黙っていることは許されぬということなのだ。
よく、大人の対応を取れと表現されることがある。確かに些細な問題や、人間の日常に付きまとう軽微な間違いをことさら大きく騒ぎ立てるのは問題外だが、組織根本の社是社則や企業ポリシーに定められた枠外に出る問題とか、法令に反する問題は言わずもがな、例え法令には記していなくても人の道(つまり倫理・道徳)に反する問題は、黙っていてはいけないのであろう。
旧来から繰り返し云われて来た官僚の不作為だとか、最近も続く巨大企業の世の非難を浴びる問題の数々、これらもこの現実を不作為することで生み出されて来たと思えるのだ。
国であれ、軍隊であれ、企業であれ、何らか組織体においては、その組織体の指揮命令と権限分掌、自浄作用を持たぬと、組織は秩序維持を失い分裂せざるを得なくなるのは自明のことだ。
ここで特に強調したいのは、何らかの問題を発見した時の不作為のことだ。問題の程度にもよるだろうが、ここでこれを問題視しなければ、将来において組織の価値を問われるもしくは世の信頼を失墜するという問題は、例えどんな迫害が予見されたとしても、黙っていることは許されぬということなのだ。
よく、大人の対応を取れと表現されることがある。確かに些細な問題や、人間の日常に付きまとう軽微な間違いをことさら大きく騒ぎ立てるのは問題外だが、組織根本の社是社則や企業ポリシーに定められた枠外に出る問題とか、法令に反する問題は言わずもがな、例え法令には記していなくても人の道(つまり倫理・道徳)に反する問題は、黙っていてはいけないのであろう。
旧来から繰り返し云われて来た官僚の不作為だとか、最近も続く巨大企業の世の非難を浴びる問題の数々、これらもこの現実を不作為することで生み出されて来たと思えるのだ。