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政治不信の元凶は何か?

2023-07-07 | コラム
政治不信の元凶は何か?
 まず始めに、日本全体をさしおき、大阪のことを述べたい。何で、大阪で維新があんなに力を持ち得たのかと云うことだが、おそらくその起点は橋下氏という政治家、そして松井氏、さらにそこにブレーンとして竹中平蔵氏の影が見えるという状況を考えて見なければならない様に思える。竹中氏と云えば小泉首相の時代、強力なブレーンとして関与、ポピュリズム政治と云われながら、郵政民営化を進めたことと、派遣労働の制限をほとんど撤廃させたことの現日本に与えた影響は極めて大きなものがある。

 維新の端から小泉政権の話しへ移行したが、ここでは維新および小泉政権を仮に似た要素があるとして共通要素を考えて見たい。それは、当時それなりに世論の人気(支持)があったということだろ。その背景として、TVや新聞など多くのメディアが応援したということがある。インターネットが普及して以来、既存メディアの発言浸透力は落ちたと云えども、特に中高齢保守者にとっての影響力は今でも根強くある。つまり、余程政治に関心があったりしない限り、メディアのコメンテンターが述べる解説を、そのまま事実として受け入れるということがある。すなわち、メディアの思考は意識しているのかしていなのか(おそらく後者だろうと思える)判らぬが、背景に米国隷下の日本というのが基本路線としてある様に感じられるのだが、これに洗脳されたのが、大阪人であり日本人全体であるということだ。

 冒頭表題の政治不信という言葉に戻るが、云うなれば政治の堕落と云うことだが、これ強い相関を持って、メディアの堕落、あくまで平均値としての国民民度の低レベル化ということがある。逆説的に云えば、およそ政治に関心がない国民の基では、そういう不信の政治家は必然として生まれてしまうということであり、それを補佐しているのがメディアと云うことになるのではないか。

 ここで、政治に関心がない国民と記したが、最終的に突き詰めていくと人権という問題があり、この意識が低いということがあるだろう。そして、人権とは、憲法にも記してある国民主権であり、現論の自由という基本理念があるのだが、このことをあまりにも意識していないのが、平均像としての日本人ではないだろうか。


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