私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

自動車の終わり

2019-05-06 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 テクノロジーの発展が近い将来にも自動運転を可能にするらしい。らしいと記したのは、路面の状態は舗装、雪、氷結、泥濘と状態は摩擦係数は大きく変化する。そして、路面の傾きは前後左右にと、また凹凸路までと様々な変化があるだろう。タイヤと路面の関係だけで、少なくともこの程度は想定されるし、実際走るとなると、様々な認知、判断、予測などの状況が想定される。自動運転は以下のレベル0(なし)から5まで、現在のところ区分している様だが、本当にレベル5が走る日が来るのかと些か懐疑的な思いだ。

レベル 名称        主体 走行領域
0   運転自動なし    人   -
1   運転支援       人  限定的
2   部分運転自動化    人 限定的
3   条件付き運転自動化 車   限定的
4   高度運転自動化    車   限定的
5   完全運転自動化    車   限定なし

 しかし、レベル5の完全自動運転車が普及すれば、運転免許も不要になり、スマホなりで呼び出せば近くの空いてる車はたちどころに目の前に来るという環境だろう。運送会社でも、余程特殊品でも、それなりのリクエストにより配車がなされる。・・・ということは運転手が不要になるばかりでなく、車両の保有が意味をなくすと思える。

 現在、日本の車両保有台数は、10年前からおおよそ8千万台で頭打ちになって推移している。完全自動運転となり、呼べば直ぐ来て、駐車場所を探す手間もいらず、かってに車両基地に帰って行く。そんな環境になったら、自ら保有し続けたい者は何処までいるのだろうか。多めに見積もっても3割ぐらいの保有台数があれば、十分共有することで人々の業務や生活をまっとうできてしまうのだろう。それは、街を眺めれば、駐車している(つまり運用されていない)車の多さから明らかだろう。

 考えて見れば、今や日夜しのぎを削って完全自動運転車の研究に没頭しているメーカー(傘下関連会社含む)だが、目標達成と共に没落する運命にあることは承知しているはずだ。それでも、世の動きがある以上、遅れる訳には行かないと必死の研究をしている姿はちょっと滑稽にも感じる。私的な思いだが、完全自動運転とは、今に生きる私の定義する自動車とは似て非なるものだろう。何れは完成してしまうのだろうが、願わくば生きてる内に、完全自動運転車のお世話にならぬことを思う。

追記
 完全自動運転化は、新交通システムなどとして一部の路線鉄道で既に採用されて久しい。車でも直ちに可能なフィールドとして思い浮かぶのが、F1などのレーシングサーキットだ。マシンの制御を追い込むことで、たぶん人の限界を超えたタイムを連続的に叩き出すことだろう。しかし、コックピットもないマシンの競争を見物するのは、極一部の限られた者に限定されることだろう。

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