私の思いと技術的覚え書き

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日本国総倫理の失念?

2020-05-10 | コラム
 これは、総てがと云うことでもないが、その様な傾向が強まって来たのではないかという私見として記す。

 拙人は過去25年程、保険会社の調査員を業として過ごしてきた。その様な中、事故車の復元修理を行う自動車板金業の主に経営者と触れあうことは多く、これは今でも少なくはなったが続いている。だから保険会社と離れた今でも、板金業を通して保険会社の調査員とか、保険会社そのものを伺い知ることができる。

 過日、その様な板金業経営者から、以下に記す様な対応をする調査員が多くなったということを聞いた。

 板金業の提示した見積に対して、それ程の根拠なく値下げ(値引き)を要求されることが増えていると話しだ。そこで、試しに調査員に「そんなに値引きを要求するなら、予め割増した見積を作るから、そこから減額した形にしようか?」と問いかけたところ、もちろん総ての者がではなかろうけど、中には「そうして戴けると助かります」と答える者がいたというのだ。

 この話しを聞き、拙人としては誠に信じかねることとして驚愕するのだ。もし、その様な者がいるとすれば、まさに自らの業の価値を劣化させるものであり、これが蔓延して行くに従って、その業事態が不要なものとなって行くのだろう。これが時代の流れかと、呆れ嘆く次第だ。

 さて、ちょっと昔話を記すが、昔の調査員としては自ら信じる公平妥当という尺度を持って、ことの交渉に挑んできたという自負がある。この公平妥当を別の言葉で表せば、正義(感)ということになろうかと思う。もし、この正義が失われた上で業が行われているとすれば、業の必要性はなくなるだろう。

 しかし、この正義、云ってみれば道徳だとか倫理の欠落というものは、社会職務としては、もっと高位の者達から崩れ出ていることを知る機会は近年増え続けている。それは、政治家、官僚、学者、企業経営者、法人組織そのものなどが不祥事として批難される事件のことである。

 こうしてみると、今次病変も含め共産党独裁のC国のことを批難しているけど、我が日本国も負けず劣らず、全国民の中に、非正義、非倫理の拡散は胎動し始めているのかもしれない。しかし、この様なことは、過去の歴史を紐解けば、一定存在し続けたのだろうけど、ちょっと病魔が広がり過ぎていることに気付く出来事となった。

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