私の思いと技術的覚え書き

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興国城址のこと

2018-07-16 | 沼津そして伊豆周辺
沼津の城址というと、明治になり早々に解体されてしまったという沼津城址がまず思い当たるのだが、ほとんどめぼしい遺構はない。しかい、大手町だとか如何にも城下町風な町名は残っている訳だが・・・。

 沼津の城として、およそ500年前となる戦国時代にまで遡れば幾つもあったのだろう。その中で、この地を出発点として、韮山から伊豆国一円、箱根を越え相模国一円までを平定した北条早雲が思い浮かぶ。そう、興国寺城址のことなのだ。道路名として興国寺通りは知ってるけど、そんな城址あるのかなぁと思う方も多いと写真を紹介したい。Netで拾った作者不明の想像図を見ながら各写真を見てもらえば、位置関係が判り易いと思う。今の興国寺城通りが大手通りで、根方街道の位置を基準として、天守台の位置関係も良く判る。

 この地は何度か訪ねているのだが、10年程前のある日、福山ナンバーの大型バスのご一行が出くわしたことを思い出す。熱心に見学されており、話し掛け聞いたところによると、この興国寺城の前に韮山城に寄り、さらに前には小田原城から見始めたと聞いたのにはちょっと驚いたものだ。北条早雲の旅ですねと問うと、そうなんですと。そして、岡山県井原市にて北条早雲(伊勢新九郎)が生まれた地との強い伝説があるのとことだった。500年を経ても、名将に思いを果て、遠路来訪する方々もいるのだということに関心したのだ。

 何れにしても私たちは、500年の時を隔て天守台の上に立ち、天気が良ければ沼津市街地から伊豆の山々などを見て、早雲大将は何をどんな思考を凝らしていたのだろうと思いを巡らせるのだ。

 ところで、この天守台の北側は大きな溝(掘り?)になっているのだが、そこを通り抜け上がると想像図の北曲輪という比較的平らな地に出る。しばらくすると、ゴウゴウと大きな走行音が北曲輪の北側の境から聞こえて来る。新幹線が切り通し下を爆走しているのだ。よもや、新幹線乗ってる方は、今500年前の城址をかすめ突っ走っているとは夢にも思うまい。








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