私の思いと技術的覚え書き

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差別する心(再掲)

2022-09-06 | コラム
差別する心
 このところ、図書館だとかアマゾンの中古本を漁り、そして Youtube などで、いわゆる同和(これは官製用語)、端的に記せばエタ、非人などと呼ばれた部落問題関係について、その歴史だとか、その対策として政府や地方自治体が行って来た同和対策事業のことだとか、現在の部落の現状だとかに感心を傾けているところだ。

 その発端となった動機は、去る 7/3に生じた熱海伊豆山の大土石流が住まいから比較的近い同県内の話しであり、その土石流の盛り土+産業廃棄物を埋め込んだ新幹線ビルディング(廃業)の経営者某がエセ同和を語り、その差別というものを逆手に取った行政へのムリ筋を行っていたということを知ったからなのだ。この件は、現在もほとんどのマスゴミでは、新幹線ビルディングの何某までは記しているが、同和のどの字も書いているメインストリームメディアは少ないと感じる。

伊豆山土石流災害
https://www.mlit.go.jp/river/sabo/jirei/r3dosha/210703_aizomegawa_07091800_taioujoukyou.pdf


 そんなことから、先に記した様に感心を傾けて何冊か本を読み、現在も読み進めている本もあるし、Youtube での視聴も続けて来ているのだ。そして、これらを見ている限り、現在の日本には実態として、同和差別はなきに等しいという所感を持つのだが、ここまでの記述すら、現在のマスゴミは公式には書けないという現状にある異常さというものを感じる。つまり、いわゆる、同和に関係する用語自体が、放送禁止用語化してしまっているのだが、言論の自由がある中で、あまりに異常と思わざるを得ない。そして、影では、今次の伊豆山土石流の産廃盛り土業社の様に、同和を逆利用して行政をムリ筋押し通し、行政も司法すら、そして弁護士すら、その対応を逃げ腰になるとはどういうことなのかと思わざるを得ない。

 しかし、同和の差別意識は、現在は実質なくなったとはいえ、例えば韓国人だとか中国人に対する差別感情を平気で表す者がいる。もっと云えば、現在、派遣労働者などが増え、それ以前からあるアルバイトとかも含め正規と非正規社員の間には、厳然とした所得の差が生じている訳だが、その中には差別的な感情が露わになっている場合もあるのだろうと想像する。

 そもそも、人種差別は、白人と黒人の間だけにあるものではなく、白人対黄色人種もある局面では差別感情が露呈する場合がある。そして、白人内でも、ナチスのユダヤ人のホロコーストの様に本気で根絶やしにしようと図ったという凶悪事件を人間はしでかしているのだ。概略だけしか知らないが、そもそもユダヤ人は、ヒトラー以前から迫害の的に欧州各国でなり、その都度住む地を移動しながら過ごして来た民族だ。ユダヤ人差別以外にも、魔女狩りだとか、ロマ(ジプシーとも呼ばれる移動型民族)差別、そして同性愛差別で収監され、出獄したが失意から46才で没したというオスカーワイルドという作家の話しは有名だ。

 話しが前後して、また国内話しに戻るが、同和の差別はほぼなきに等しくなったのかもしれぬが、男女の差別、親会社子会社の差別、官僚だと国家公務員上級職(キャリア)とノンキャリアの差別、学業(大卒と高中卒の差別など、およそ数え切れない差別があるのだろう。もちろん職場もしくは組織内での、外国人差別もあるだろう。

 この差別だが、時によっては競争至上主義の中で売り込む手段として、競合する他者と会えて差別感を生み出し優位を得ようということや、商品戦略上から、差別感を生み出しそれを自社のアピール商品として訴求しようということがあるが、これはここで云う差別には該当しないだろう。

 では、どういう差別がいけないのかということだが、その差別感情を受ける者が、もしくは聞いた他人が、道徳上そりゃないだろう、そんなこと云ってはイカンという場合だろう。つい先日も、Youtuber のメンタリストDなる某が、「ホームレスなどは、臭いしさ、いなくなって欲しい、自分の愛猫の方がかわいい」。あげくの果てには、「自分の方が高額納税者で国のために役立ってる」なんて抜かして、大炎上した訳だ。本気で後悔するんなら、ホームレス者を支援するボランティア活動でもしてみて欲しいと思う次第だ。

 ここまで記して来て、自分のサラリーマン時代を振り返った時、差別を受ける者の心の痛みを味わったこおとを披瀝してみたい。

 それは、損保の損害調査員(業界名としては私は嫌うがアジャスターと呼ばれる)だった時のことだ。アジャスターは車両の実況見分だとか示談援助などで、板金業などや事故の相手方を訪問する機会は多い。ここで、「保険屋」などと蔑視を込めて呼ばれるとムッとくるが、この程度じゃ心の痛みというのは大げさだろう。

 私の味わった差別としての心の痛みを痛烈に感じたのは、次の様なものだった。ある部署において恒常的にパワハラを女性職員(一般職)に繰り返す総合職の査定担当者なる某が居たのだ。私は見るに見かねて、マトモに意見し制止したのだった。その反論が「なにー、お前アジャスターだろが」というものだった。

 これを聞いた方には理解し難いかもしれないが、翻訳すれば「お前ごときは子会社だろうが」というもので、正直まあ、よくも云えたものだと呆れつつ、しかしそこまで面と向かって、こんな仕事も満足にできないゲス野郎に云われたということに、極めて不快の念を持ったのだった。

 この事件は、流石に怒りに燃えて、上位総合職にも伝え全社員に事実関係を周知させるなど、正に同和運動真っ盛りの状態みたいなことを単独で行うに至った時のことを思い出す。まあ、そんな心の痛みを味わいつつ、それから約1年もしないで退職をするに至ったのだった。以後、自営業として、従前の知を生かしながら、クルマと事故のことから相変わらず離れることなく、関連業務を続けているのである。


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