私の思いと技術的覚え書き

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蛭ヶ小島のこと

2020-03-01 | 沼津そして伊豆周辺
 蛭ヶ小島(ひるがこじま)とは、現伊豆の国市(元韮山町)にある、源頼朝(みなものとのよりとも)の流刑地と伝えられる場所だ。この辺りには、伊豆の国(天領:幕府領)の代官(現在の県知事相当)である江川代官所(重文)とか、同江川代官の第36代当主たる江川英龍が指揮して立てた反射炉(世界遺産)があるが、この反射炉から江川邸に向かう道筋の中程辺りの田んぼの一角に存在する。

 以下はwikiから抜き出した記述で真偽のほどは不明ながら、主要項目を書き写してみる。
 源頼朝は父源の義明の三男であるが(父が)平治の乱で破れ、この地に流刑されたと伝えられている。約20年この地で過ごしたが、その間に、この地の豪族たる北条時政の長女、北条政子と結婚している。こ存知の通り、源頼朝は北条時政らと平家打倒に力を尽くし、鎌倉を本拠として東国を制圧し鎌倉幕府を樹立することになる。

 この伊豆の国市や周辺の三島市、清水町、修善寺(現伊豆市)や熱海市辺りには、源頼朝縁の史跡は数多い。

 この蛭ヶ小島には、頼朝と政子を表した像がある他、「頼朝と政子(梛の葉の縁結び)の碑」がある。この梛(なぎ)の木だが、雄雌異株であるとう。この碑の左右に立つ梛も、どちらが雄か雌か、同公園を整備清掃されている方が教えてくれたんだが失念してしまった。






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