私の思いと技術的覚え書き

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右傾化ドリフトへの思い

2022-07-24 | コラム
右傾化ドリフトへの思い
 私はリベラル保守を認じているつもりだが、この国の右傾化を既に20年近く感じ続けて来た。それは保守として、良いも悪いも正しい歴史認識を意識し、300万の死者を生み出した先の戦争を後悔し、二度と戦争をしないことを前提の国であると信じる。

 ただし、自衛隊の認めないという思いはなく、専守防衛という意味で防衛力は必用だと認識している。ところが、ロジステクス援護だとか平和維持という名目で、自衛隊の海外派遣が常態化しつつあることや、実態として空母に相当する護衛艦の改修などが行われる現実を知る時、かなり行き過ぎた行動ではないかと思うのだ。

 また、現憲法はデモクラシー国家として、国民主権の自由民主主義を規定していると意識するが、その精神がだんだんとなし崩されていることをさまざまな事柄から感じ続けて来たのだ。

 その事例として記せば、法令の厳罰化、先進欧州諸国のほとんどが人権意識の高まりの中死刑制度を止めている中で日本は維持している、マイナンバーの多種情報の一元化、労働運動とかデモの弾圧抑制、盗聴とか位置情報のむやみな使用、メディアの弾圧抑制、官僚制度における記録の恣意的未記載だとか破棄したとか情報非開示の常習かなどなどなどだろう。

 この右傾化ドリフト(流れ)は、戦後の自民党政権が続く中で増長して行ったと思えるが、この20年前辺りから歯止めが利かない様に加速度を強めて来たと意識する。

 日本は予てより、勤勉まじめで比較的犯罪も少ない社会という評価はもっともだと思えるが、大きな欠点として、強きに流されるとか同調社会だと云われているが。振り返ってみると、2000年以前は同じ自民党政権でも、その中に右寄り、リベラルと派閥の意見が分かれカバナー(自浄作用)が働いていたと思える。ところが、この20年ほどは、同調社会で異論が出たとしてもそれは単なる派閥の権力闘争としての上っ面のことで、実質のカバナーの作用は霧散してしまった様に感じる。特に第二次アベ政権以降、その同調もしくは忖度政治が、政権内もしくは政党内および官僚内、そしてメディアや大企業にまでおよんだかの感を持つ。

 この右傾化だとか政治の堕落という萌芽を、2010年の書籍で西尾幹二氏は記している。

【書評】日本をここまで壊したのは誰か(西尾幹二 著)
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/80bca655ef4014bc9b0107c944b7ea0b


#日本政治の堕落 #右傾化 #西尾幹事


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