私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

美しくないメカ

2012-07-09 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 機械屋の私の視点から述べてみたいと思います。これは文系の方ですと、理解し難い思いかもしれませんが・・・。

 私の好きなクルマに限らないことかもしれませんが、最近の機械(メカニズム)は美しくないと思うことがしばしばです。それは、何も機械の精度が低下しているなんてことではなく、機械の精度や効率等の諸性能は高性能化している一方なのは確かなことなのになのです。それでも、多くの現代マシンは美しさを感じさせないのです。なんでなのでしょうか。私は持論として、練り込み作り上げた優れた機械は、おのずと美しさというもの(メカ屋だけに感じるものかもしれません)が醸し出されてくると思って来ました。

 そんな機械として自動車のエンジンがありますが、最近ではエンジンが安っぽい樹脂製のカバーに覆われていることが多くなってきました。このエンジンカバー採用については、世界的な潮流となっており、中級以上の国産車のみならず、ベンツやBMWという欧州車、いや世界中の自動車で極当たり前に採用されています。

 ここで、ちょっとエンジンカバーがどんな経緯で採用されて来たか、私の記憶に頼って記してみます。それは初代セルシオ(10型)が最初の切っ掛けではなかったのか思っています。但し、この時は、エンジン本体でなく、ABSアクチュエーターとかのエンジンルーム内の補機類の何点かをカバーリングし、エンジンルームをすっきり見せようとする意図としてのものだったと想像されます。それが、2代目セルシオ(20型)では、エンジン本体をカバーリングするまでに発展し、現在の四代目セルシオすなわちレクサスLS(40型)では、エンジン本体およびその他エンジンルームのすべてを三分割カバーで覆いつくすところまで発展したのです。こうして記すと、エンジンカバーの導入リーダーは、トヨタ自動車であったことが良く判ります。

 この様なカバーは、上級車を中心に増えているのだと思います。そのこと自体は時代の流れとして受け入れざるを得ないのだと思っています。しかし、カバー自体がメカニズムの造形として美しくない上に、いざカバーを取り外し、その内側をむき出しにした時、なんというハーネスや配管の取り回しの拙劣さ、本体造作の無粋さかと唖然としてしまうのです。

 伝え聞く現代の自動車設計手法は、CADとかCAEというコンピューター上に数値化されたデータを、LANによって多人数の設計者が共有しつつ、部品相互の位置関係や形状までの決定してしまうことが多々ある様です。そんな設計環境が、リードタイムを短縮させ製造原価を低減するためにも必用なことなのでしょう。しかし、昔の様に実物を作り組み合わせ、相互の位置干渉とか整然性の検討を繰り返し行うという、ある意味愚直な動作が抜け落ちたが故に、見る者に美しさを感じさせなくなってしまったのかもしれぬと思っているのです。

 こんなことを記すと、これを読んだ方からは美しくなかろうと、性能や耐久性が必要十分ならいいんだという声が聞こえてきそうです。確かに、その通りなのかもしれません。しかし、メカ屋としては、良く練り込まれすっきりした配置や造形美のメカニズムを見るに付け、それに関わったエンジニア達のセンスの良さと、メカニズムの美しさにほれぼれすると共に、作り上げた人間達に敬意の念を抱くのです。



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