報道で、今般の菅内閣において、首相補佐官に柿崎明二氏(59)を充てる人事を決定した。柿崎氏(59)は9月30日付けで退職するが、共同通信社論説副委員だという。これに関して、人の持つ出世欲とか権力欲を示すもので全否定までするつもりはないが、あまりに強い者を見ると理解しがたい者と思う。これは、自らが生きてきた経験からも、また先日記した企業小説のことに関しても、その主題が出世欲とか権力欲に執着し過ぎる醜さを描いている場合が多々からも判るだろう。
今回の首相補佐官人事に、柿崎氏と毎日新聞時代に同期で入社したという元TBS解説委員・流通経済大学の龍崎孝氏の論評を読んだ。曰わく、「がっかりした」として、「元来新聞記者の本分をまっとうし合う仲だと思っていたから」、さらに「基本的な立場として、権力の中に入るのはあり得ないと思っていたのが私たち(記者側)。」と報じられている。
関連して私事の昔語りを記そう。20年程前の私が勤めたある保険会社子会社のことだが、軍隊風に記してみよう。
私は大本営から傍流となる支隊(子会社)の教育隊・中堅参謀で少尉ぐらいの感じだったろうか。(係長)直属の教育隊での指揮官は、iという大佐(部長)だった。このi大佐はなかなかの人格者で、私も考え方などで腹に落ちる教えを受けること多々であり敬服していた。そんな中、ある現場支隊の指揮官が除籍(定年)となることになり補充人事が行われることになった。ここで、日頃教育隊として、傘下全隊員の人となりを把握していた私からは到底あり得ない人事が行われたのだ。
それは、常日頃からある意味衆人を引き寄せる政治力はあるものの、明かな権力欲が見え見えで、その行動を行うについて成果さえ上げれば、その過程にどんな非倫理があろうが、まるでとんちゃくすることがない者と判断していたSを指揮官とする人事が行われたのだ。そして、この人事を強く決定すべき関与を行ったのが、先のi大佐であることも、程なく見えて来た。こんな中、確かに見掛けの戦果は上がるだろうが、その内部隊の規律は緩み、困ったものだと思っていたのだが、i大佐は、自らの人事関与を誇る様な言動も聞かれた。それから2年も経なかったと思うが事件が起きたのだった。それは、Sが軍の物資の横流しをしていることが発覚したのだった。(保険会社だからテーブルファイヤとも呼ばれる業務上横領)
この際の、i大佐の落ち込み様は見ていられない程であった。つまり、自らが作為してSを引き上げた結果のこの結末に、責任感にさいなまれたのだろう。その様な面では、誰も直接iを責める者などいなかったはずだが、i大佐にはSの様な倫理感の欠落など皆無だったのということだ。しかし、これを見ていた私はi大佐の心情が痛い程判るものの、なんでSの倫理感の欠落が見えなかったのかとの思いも強く、慰めの言葉を掛けようという気持ちにもなれなかった。
今回の首相補佐官人事に、柿崎氏と毎日新聞時代に同期で入社したという元TBS解説委員・流通経済大学の龍崎孝氏の論評を読んだ。曰わく、「がっかりした」として、「元来新聞記者の本分をまっとうし合う仲だと思っていたから」、さらに「基本的な立場として、権力の中に入るのはあり得ないと思っていたのが私たち(記者側)。」と報じられている。
関連して私事の昔語りを記そう。20年程前の私が勤めたある保険会社子会社のことだが、軍隊風に記してみよう。
私は大本営から傍流となる支隊(子会社)の教育隊・中堅参謀で少尉ぐらいの感じだったろうか。(係長)直属の教育隊での指揮官は、iという大佐(部長)だった。このi大佐はなかなかの人格者で、私も考え方などで腹に落ちる教えを受けること多々であり敬服していた。そんな中、ある現場支隊の指揮官が除籍(定年)となることになり補充人事が行われることになった。ここで、日頃教育隊として、傘下全隊員の人となりを把握していた私からは到底あり得ない人事が行われたのだ。
それは、常日頃からある意味衆人を引き寄せる政治力はあるものの、明かな権力欲が見え見えで、その行動を行うについて成果さえ上げれば、その過程にどんな非倫理があろうが、まるでとんちゃくすることがない者と判断していたSを指揮官とする人事が行われたのだ。そして、この人事を強く決定すべき関与を行ったのが、先のi大佐であることも、程なく見えて来た。こんな中、確かに見掛けの戦果は上がるだろうが、その内部隊の規律は緩み、困ったものだと思っていたのだが、i大佐は、自らの人事関与を誇る様な言動も聞かれた。それから2年も経なかったと思うが事件が起きたのだった。それは、Sが軍の物資の横流しをしていることが発覚したのだった。(保険会社だからテーブルファイヤとも呼ばれる業務上横領)
この際の、i大佐の落ち込み様は見ていられない程であった。つまり、自らが作為してSを引き上げた結果のこの結末に、責任感にさいなまれたのだろう。その様な面では、誰も直接iを責める者などいなかったはずだが、i大佐にはSの様な倫理感の欠落など皆無だったのということだ。しかし、これを見ていた私はi大佐の心情が痛い程判るものの、なんでSの倫理感の欠落が見えなかったのかとの思いも強く、慰めの言葉を掛けようという気持ちにもなれなかった。