オールマイティ能力を求める愚
世の企業組織などで、その所属員にオールマイティ能力を求めると求めることがある。また、所属員自身も、そうでなければならないという大げさだが、強迫観念までが生じて英語も読み解出来なきゃ、プログラムも出来なきゃなどと、ビジネス本を読み、あれもこれもと自己啓発に励むということがある。
これに関連して、このところ耳を傾ける機会が多い、宮台真司氏(東京都立大学教授64)は、英語を公用語にする企業はコスパ最悪となるといいうことを述べている。つまり、社内でのコミュニケーションを英語を強制などすれば、所属員同士の正しい意志疎通は失われ、生産性がガタ落ちとなりコスパは低下するだろうと結論付けている。その上で、世の構成員個々は、得意や不得意というデコとボコがあり、そのデコとボコが組み合わさることで、高いパーフォマンスが得られるのであって、皆が専門家を目指すことの愚を説くのだが、まったくその通りと思う。
このことは、部門職種とかその職階によっても異なるのだろうが、いわゆる総合職と専門職に区分したとすれば、皆が総合職思考になることは不可能だし、それはコスパ低下甚だしい。専門職にとって、その専門分野の深度を上げることはコスパを上げることになるのだが、それさえも、その専門分野によっては、例えば優秀なプログラマーは、千名の凡庸なプログラマーを上回るパフォーマンスを発揮出来るという現実がある。
一方、世に専門バカと云う言葉とか、何ら自分がないのか必要上にリスクを恐れるのだろう、現状に甘んじる隷従だとか同調という問題がある。
世の企業組織などで、その所属員にオールマイティ能力を求めると求めることがある。また、所属員自身も、そうでなければならないという大げさだが、強迫観念までが生じて英語も読み解出来なきゃ、プログラムも出来なきゃなどと、ビジネス本を読み、あれもこれもと自己啓発に励むということがある。
これに関連して、このところ耳を傾ける機会が多い、宮台真司氏(東京都立大学教授64)は、英語を公用語にする企業はコスパ最悪となるといいうことを述べている。つまり、社内でのコミュニケーションを英語を強制などすれば、所属員同士の正しい意志疎通は失われ、生産性がガタ落ちとなりコスパは低下するだろうと結論付けている。その上で、世の構成員個々は、得意や不得意というデコとボコがあり、そのデコとボコが組み合わさることで、高いパーフォマンスが得られるのであって、皆が専門家を目指すことの愚を説くのだが、まったくその通りと思う。
このことは、部門職種とかその職階によっても異なるのだろうが、いわゆる総合職と専門職に区分したとすれば、皆が総合職思考になることは不可能だし、それはコスパ低下甚だしい。専門職にとって、その専門分野の深度を上げることはコスパを上げることになるのだが、それさえも、その専門分野によっては、例えば優秀なプログラマーは、千名の凡庸なプログラマーを上回るパフォーマンスを発揮出来るという現実がある。
一方、世に専門バカと云う言葉とか、何ら自分がないのか必要上にリスクを恐れるのだろう、現状に甘んじる隷従だとか同調という問題がある。