私の思いと技術的覚え書き

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昔の国境

2018-11-08 | 沼津そして伊豆周辺
 かつて静岡県は、3つの国に分かれていたことは、多くの方が知るところでしょう。すなわち、西から遠州国(遠江とうとうみ)、駿河国、伊豆国の3つです。この内、遠州と駿河の境は大井川となるのですが、駿河と伊豆の境は今一つハッキリしないという感を持つ方も多いのではないでしょうか。

 現在の沼津宿は、間違いなく駿河国です。しかし、そこから2里(8km)程離れた三島宿は伊豆国なんですね。

 今回見た地図は大正2年の主に駿豆鉄道を示すものですが、この駿河と伊豆の境を知る意味でも興味深く見ました。

 現在、沼津市はかつての戸田村までを合併し沼津市となっていますが、戸田村は当然に伊豆国ですが、海岸線でいうと、口野と重寺の間に国境があったことが知れます。

 この地図は鉄道関係でも興味深いものがあります。大正2年ですから、未だ丹那トンネルはなく、東海道本線は現在の御殿場線です。沼津から発車東京に向け発車した最初の駅は三島ですが、これは現在の下土狩駅です。そして、現在の伊豆箱根鉄道は、そこまで接続していたことが知れます。また、沼津駅前から三島広小路までを走っていた路面電車も描かれています。

追記
 私見を追記します。こと程かように昔から行政上の区分けとしては沼津は駿河国だった訳ですが、駿府(静岡)との仲間意識は希薄で、伊豆国の一員としての意識が強かった様に思えるのは私だけはない様に思えます。だいたい静岡の「だけえが・・・」とか方言からして違うし、気質も相当違いますし、完全に私見ながら極端に云えば大体駿府人を信用ならん奴だという意識すら持ってます。

現在の県政としても、人口の点もあるのでしょうが、中部(静岡)や西部(浜松)に比べ東部(沼津を含め伊豆一円)は何かと優先順位が低いと感じるのは単なる「ひがみ根性」なのでしょうか。静岡県を脱退し、沼津を含めた伊豆県として独立すべきと妄想するのです。


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