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ルポルタージュ・損害調査員 その15【損保の損害調査の歴史➀】

2022-07-03 | コラム
ルポルタージュ・損害調査員 その15【損保の損害調査の歴史➀】
 15回目のルポルタージュとして記したい。今回は損保の歴史を含め主に損害調査の歴史を記してみたい。ただし、元一調査員の立場での記述だからして、何処まで客観妥当なものとできるかは保障の限りではない。

 そもそも、保険という制度が生まれたのは、スペインとかポルトガルが世界の覇権を握る大航海時代と云われる時代おける海運保険がことの始まりの様だ。コロンブスとかマゼランとか云われる歴史に名を刻む者達が登場する時代だ。この時代、世界に未知の豊富な資源を求めて、大航海に乗り出すのだが、その費用の投資家達にとっては、無事に成果を上げて帰って来るか、おそらく難破でもしてまったく音信不通で返って来ないという賭けであったのだが、その賭けを商売にして保険という制度が生まれる切っ掛けになったと聞く。また、この掛けたる保険は、エンドユーザーと保険契約を行う元請けに対し、その保険の権利を分割するなどして、有数の個人資産家に対して販売する再保険という制度も始まったと聞く。
 この再保険は、国内保険会社同士で、再保険を請け負い合いリスク分散させてもいるが、再保険を引き受けた企業は、再度別の企業に再保険を連鎖していくということが行われる。再保険取り扱いの高名企業としては、現在でも英国ロイズ社が有名だが、再保険を引き受けた個人や企業の投資家は無限責任を負うアンダーライター(再保険引受人)として呼ばれる様だ。

 日本の損保でも、火災保険などでは、台風などで大量の損害が生じ、数百億の保険金支払が出る場合も都度あるが、その保険は全部もしくは一部を再保険を掛けており、必ずしもその大災害の保険金支払が当該保険会社に過大な負担となるリスクを防いでいる。一方、2001年9月11日に生じた米国同時多発テロでは、米国の航空機が幾つかほぼ同時に墜落したのだが、この再保険の一部をハイリスクハイリターン商品として、購入運用していた国内損保の何社かあった様だが、一部は企業終焉の切っ掛けになったという事例もある。

 ちなみに日本の保険会社で一番古い歴史を持つT海上社は、土佐藩郷士たる岩崎弥太郎が創業した三菱グループの企業だが、明治維新を越えて、日露戦争では多大の利益を上げたと聞く。こうして、損害保険は、当時の国際海上輸送の主流たる海上保険からスタートし、その後に火災保険とかさまざまな保険が開発されて行くことになるのだ。そして、日本では昭和30年代後半よりモータリゼーションという自動車保有台数が急激に高伸張する時代が訪れる。現在、国内保険会社の収入保険料の半分を超えるのが自動車保険だと云われているが、元はゼロであったのが、ここまで収保を押し上げたのだから、モーターリゼーションの普及が保険会社の各社順位に与えた影響は大きかった様で、最大手のT海上は盤石の1位に揺らぎはないが、中堅どころの保険会社は、自動車保険への取り組み如何で、相当に順位の入れ替わりがあったやに聞く。

 ところで、日本の海上保険はT海上が圧倒的にトップで、その損害査定も代表幹事としてT海上が国内保険会社の損害査定を引き受ける体制をもっている様だ。それと昔聞いたことだが、保険会社として海上部門(通称マリーンと呼ぶ)は、花形エリート部門であり、マリーンに配属されるというのは、ある意味名誉なことであったそうだ。

 さて、保険という制度は、善良な契約者を前提として、多数の契約者からなるべく安価な保険料を集め、偶然外来の不慮の事故や災害に備える制度であり、収入保険料を集める部門と共に、適正かつ公平な保険金を支払う損害調査部門の適正さが欠かせない。

 また、適正妥当な保険料を検証する目的で、そのための法令を整備して保険料率算定会という機関が作られ、保険会社は長い間、独占禁止法除外の保険料が認められて来た。しかし、米国圧力の高まりの中、金融ビックバンとして損保の保険料や約款もある程度の自由化がなされることになり、先の保険料率算定会も保険料率算定機構という組織変更がなされた。

 損害保険会社の収益のあり方というのは、まず収入保険料があり、そこに事故や災害で保険金を支払った支出が生じる。この支払保険金/収入保険料の値をロスレシオと呼んでいる。なお、保険会社の経営に当たっては、保険金以外の支出を事業費と呼んでいるが、これには従業員などの人件費、営業活動費、損害調査費、全国オンラインでのコンピューターシステム費などの総額が事業費とされている。ここで、金融ビックバン以前の保険料率算定会の場合は、事業費も含め、保炎会社すべての平均値を計算していたのだが、保険料率算定機構以降は、純率と呼ぶが、事業費は各社マターとして一切集計の対象から外し、純な収入保険料と支払保険金だけの集計を行っている。

 ここで、日本の場合、収入保険料を集めるのに昨今はNet型保険などでダイレクトに集客している事例も多くなっているが、代理店(エージェント)を介す場合が多い。この保険代理店とは、個人もしくは法人企業体が兼業で行う場合もあり、特に保険代理店を専業として扱う者をプロ代理店と呼ぶ。
 ところが、日本の場合、モーターリゼーションによる車両保有数の大伸張の中で、安易に車両メーカーとかカーディラーなどを代理店に加えた点は、ある意味間違いであったと感じるところだ。つまり、車両ディーラーなどが、その集客力により代理店として保険業界で力を有することは、保険金支払とか営業推進上のギブ&テイクで、保険会社が新車販売とか車検入庫の紹介斡旋だとか、ディーラー斡旋のタカリ行為にまで関わらなければならなくなったのが日本の損保業界という思いを受ける。また、盗難多発の車両が現在でもあるのだが、こういう高リスク車では、一応車種別料率という制度は取り入られているものの、何処までそういう車両の販売抑制に寄与しているか疑問な点もある。

 なお、現在の日本は窮乏化しつつあり、新車販売も年々低下しつつあることや、カーシェアリングだとか大都市では駐車場コストが高過ぎて個人的自動車保有が減りつつあり、そのことは自動車保有統計でも現れて来ており、今後の高齢化とか人口減少で急激に自動車保有台数は減少する方向だろう。つまり、カーディーラーの凋落が予測されるところで、損保の大合併は事業費の圧縮という問題と共に、カーディーラーのぶんどり合戦という側面もあったと回想するのだが、昨今報じられる損保動向の中で、改めてプロ代理店の整理統合とある種大規模なプロ代理店への大幅な権限委譲により、損保要員の圧縮を図ろうといういう戦略が見え始めた。




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