私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

亡国の民(世の情報化は進むが政治には無関心)

2021-09-28 | 問題提起
亡国の民(世の情報化は進むが政治には無関心)
 憲法前文にも国の主権は国民にあると記されている。この主権の行使を端的に表すのが選挙であり、自由に票を投じる行為なのだが、投票率は年々低下の傾向を見せているのは知られたところだ。

 添付図は総務省のWebから引いたものだが、このグラフと表によれば、年々投票率は低下しているというのが現れている。つまり、1967年には74%だった投票率が、2017年には52%に低下しているのだ。

 このグラフと表は、年齢層別でも表しているが、総じて若年齢層ほど得票率が低いことも表している。このことは、得票率は政治的関心と相関するだろうことを考えると、1967年と2017年では50年違う訳で、1967年頃の低得票だった者が50年を経て現在70代になって高齢者の得票率も押し下げているのかもしれない。

 まあ、それでなくとも、相変わらず若年齢ほど得票率は低い現状にあることに変わりはない。つまり、若年齢ほど、政治的関心が薄いことを示している訳だ。

 しかし、現在はPCは職種によっては普段触れることはないにしても、スマホはPCと同じNet環境にあり、報道など政治的ニュースも含め、見ようと思えば誰でも見れる環境が確立されており、新聞見なくても、報道のヘッドラインだけ見るだけも、今政治の世界で何が起きているのか理解できる訳だが・・・。

 それが政治的関心がないと云うことは、感心はもっぱら別のところに向いているということなのだろう。つまり、好きなタレントの話題とか、ゲームなどに向いていて、もしかすると政治には不審だけは感じつつも、俺には関係ないことと、無視してしまっているのが現状なのかもしれない。

 考えてみれば、偶に通りに面したパチンコ屋の前を通り過ぎることがあるが、平日だというのにその駐車場は驚く程のクルマが留まっており、平日昼間だというのに、何故ここまでパチンコやりたい人口の多さに呆れることは多い。こういった現象は、全国各地で見られるのだろうが、様は遊んで暮らしている者がそんなに多い訳なかろうから、工場労働者だとかサービス業でも、夜勤明けの労働者が、感心の対象としてパチンコ屋を目指しているのだろうと思えるが、正直パチンコをやらない者には、その心理が判らない。

 話しは戻って低得票率の選挙については、地方行政などでは、投票日近くになると投票に行って下さいとお茶濁しにアナウンスするが、政府自体が低投票率を問題だとして論議したり、国を上げて投票率を高める施策を行う姿というのは見たことがない。ただし、何処かの独裁政権下の国では、投票率が100%に近い国もあるそうだが、それはまた別の問題を内在しているのだろう。

 話しが振れたが、政府自体が投票率の低下を、国民主権の政治を真に目指しているのであれば、この低投票率は問題だと認識するだろうが、ほとんど何も云わないのは何故か。現行与党勢力は、それなりの組織票を有しており、ヘタに得票率が上がり、浮動票により当選の見込みが狂うのを、つまり当選するという既得権を失うのが怖いとしか考えられない。

 正直云って、偶に若い方とも話すが、本当に政治の関心は薄いなと感じざるを得ないし、選挙なんか行ったこともないとか、行くだけムダなどという意識の者も多い。しかし、冒頭に述べた国民が主権という唯一とも云うべき権利をないがしろにする行為は、亡国の民であり、どんな悪政が蔓延ってからでは、取り返しが付かないことを意味しているのだが・・・。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。