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ハスラーというのは某二輪車メーカーが生産していたオフロード車(当時は「トレール」とか言ってたっけ)で,排気量の小さい順に50,90,125,185(175だったかも),250,400ccの単気筒2stエンジンを搭載していました。タイヤはキャラメルブロック。
この大小ハスラーたちは別社のHT~RTのラインナップのような「デザイン的な統一感」があるシリーズとは正反対で,アップマフラーとダウンマフラーが混在していました。
自分としては400のデザインが好みでしたが,如何せん「原付」ですから50cc以外の選択肢はない。
上野の中古車店から小岩まで押してきて,すぐに長野県北佐久郡に送られてしまったハスラー50ですが,このバイク,後に結構いろんなきっかけを生んでくれたのでした。
まず東大島BUNさんが,ハスラー50のⅡ型を購入。たぶん新車だった。
その後すぐ,砂町KUNI君がAT125を購入。DT125になる前のAT。
KUNI君の凄いところは,大型二輪免許が「聖域」となる直前,滑り込みで自動二輪免許と取得したということで,我々その他大勢は大変悔しい思いを味わったものです。
最終的に自分も50歳で大型取ったから,まあそれはそれでよしとする。
その後,このほとんど乗られることのなかった(東京にいて長野のバイクは乗れない
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先ほど運転免許を改めて見たら,「二・小・原 昭和48年2月○日」という記載がありました。
そうだった。16歳になってすぐ,鮫洲に原付免許取りに行ったんだっけ。
「原動機付き自転車なら,まあ許可しよう。ただし乗る場所は江戸川の土手だけ。」という約束のもと,原付免許の取得と車両の購入を父は渋々認めてくれたのですが,実車を見たら「これ,バイクじゃないか
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父の頭にあったのは,昭和30年代に小岩で「バタバタ」と呼ばれていた,自転車にエンジンを無理やり?に取り付けた,文字通りの「原付自転車」だったようでした。
話が前後しますが,「江戸川の土手だけ」という約束だったので,上野の中古バイクショップ街にあった某モータースにてバイクを4万9800円で購入し,そこから小岩の自宅まで歩いて押してきました。それが中古の初代ハスラー50。
ショップから自宅まで何時間かかったのか,記憶にありません。
アメ横の脇を通り,湯島下へ。そこから左に方向を変え,当時国技館があった蔵前から蔵前橋通りを一路東へ。そうすれば約3時間で自宅に到着できると思っていたのです。が,そう簡単には行きませんでした。
蔵前橋通りは途中で隅田川,旧中川,荒川・中川放水路,新中川その他多数の河川に架かる橋を通るのだけれど,橋にかかる登り坂に歩道が無い
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しかもどうしたわけか,自分は自転車時代に,車両の右側からハンドルを握って押す,という,普通と反対の習慣を身につけてしまったので,慣れないバイクを右側から押して車道を歩けない,怖い=スロープのある橋を探して,目的地とは直角の方向へ河川に沿って進路を変更し続ける,という恐ろしい状況に陥りました。
そうしてやっとやっと自宅に到着し,父の「これ,バイクじゃないか
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土手は当時から,二輪車四輪車走行不可だったから,ハスラー50は長野県北佐久郡某所の山荘へ送られる荷物と一緒に,トラックに搭載されてしまいました。
だから,自分にとって初めて押したバイクはハスラー50なのだけれど,本当の意味で初めて乗ったバイクは,やはりVmaxなのです。
50cc7.2馬力と1200cc135馬力。
今ではもう使われなくなって久しい「馬力」という言葉が,懐かしく思い出されます。
この話はたぶんまだ続きます。(Take)