たまたま同じ区の,M二中3年C組だったお前,K二中Ⅲ年2組だった俺。
床運動が得意だったお前,鉄棒が好きだった俺。
中学1年の時から,区大会,墨東大会,東部地区大会,中央地区大会を勝ち抜いて,ようやく東京体育館までたどりつくと,やっぱりそこにいて平然と演技をしていたお前,負けたくなかった俺。
「全国区の選手にはなれない」とわかっていたから,私立には進まず都立高に進学し体操部に入った俺の前に,当然のような顔をして現れたお前。
毎年新入部員が初心者ばっかりで,苦労したよなぁ。
一昨日,後輩どもが言ってたよ。「先輩方のご指導はきつくてきつくて,自分,何度もやめようと思いました。」でも,体操部に入ってよかったと。当たり前だ。お前と俺であんだけ頑張って育てた奴らだからな。
長男として家業を継ぎ,両親と同居してがんばってたお前,長男だけど家を捨て,知己も親戚もない地に移り住んで,もがいてる俺。
43年間,思えばあっという間だったな。
ありがとう。(Take)
ず~っと昔、よしだたくろう「今はまだ人生を語らず」という当時LPアルバム(1974年12月発売)があった。
感受性豊かだった(はずの)頃のtaniyanが高校生の頃に発表されたものだ。
拓郎さんも当時はまだ28歳だと思うが、レコード会社「FORLIFE」設立、伝説の「つま恋」(1975年)の前年リリース。
その年1974年、森進一さんの「襟裳岬」(作曲)でレコード大賞を受賞など拓郎さん超絶頂期だった頃だと思う。
18歳の頃は当然のことながら、50歳代になった今でさえ「人生を語る」事など出来ない。
永遠に語ることなどできないのかもしれませんけどね~
それでも、これから何年生きられるか分からない残りの人生は、音楽の事でも「語り」、楽しみながら生きてみたいと思う。
♪今はまだまだ 人生を語らず
目の前にも まだ道はなし
越えるものは すべて手探りの中で
見知らぬ旅人よ 夢よ多かれ
越えて行けそこを
越えて行けそれを
今はまだ 人生を 人生を語らず♪
(よしだたくろう「人生を語らず」より)
taniyan
感受性豊かだった(はずの)頃のtaniyanが高校生の頃に発表されたものだ。
拓郎さんも当時はまだ28歳だと思うが、レコード会社「FORLIFE」設立、伝説の「つま恋」(1975年)の前年リリース。
その年1974年、森進一さんの「襟裳岬」(作曲)でレコード大賞を受賞など拓郎さん超絶頂期だった頃だと思う。
18歳の頃は当然のことながら、50歳代になった今でさえ「人生を語る」事など出来ない。
永遠に語ることなどできないのかもしれませんけどね~
それでも、これから何年生きられるか分からない残りの人生は、音楽の事でも「語り」、楽しみながら生きてみたいと思う。
♪今はまだまだ 人生を語らず
目の前にも まだ道はなし
越えるものは すべて手探りの中で
見知らぬ旅人よ 夢よ多かれ
越えて行けそこを
越えて行けそれを
今はまだ 人生を 人生を語らず♪
(よしだたくろう「人生を語らず」より)
taniyan