団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

喜久で団塊の集い

2015-01-15 18:21:20 | ともだち

喜久で団塊の集い

2015年1月15日(木)

 かつての職場の仲間の集いがありました。「団塊」という名前を付けていました。出来たのは、30年位前になるでしょうか・・。ずーっと続いています。飲み仲間としてですが・・。

 「団塊」とは、堺屋太一の「団塊の世代」からとったもので、私が名付けました。当時から、高齢社会になることが分かっていましたので、そういったことを勉強しようという趣旨で始めたのもです。が、飲み会になってしまったのです。

 ただ、多少勉強はしたので、高齢問題に関して若干の認識は持つことができました。私が最初に勉強した頃は、「世代間交流」とかいって、行政施策としても、世代間の対立を克服しようという試みが行われていました。(例えば、世代間交流施設といったものが建設されました。)ところが、今はどうでしょう・・。私は、政府は世代間の対立を煽るようなことをしているのではないかと思います。その際たるデマゴーグは、「若年世代二人が一人の高齢者を支える時代が来る」というものです。「支える」のは、働いている者であって、65歳以上でも働いていれば、「支える」側になるのです。一方、65歳未満でも、働いていなければ、「支えられる」側になるのです。年齢で一律に線引きをするというのは、意図的としか考えられません。

 私は、最近「連結家族」ということを考え出しています。企業会計では「連結決算」というのがありますが、それにヒントを得たものです。連結決算においては、親会社がいくら黒字でも子会社が赤字があれば、それは相殺されるというものです。

 「連結家族」とは、親世代と子世代の収支を相殺するというものです。今、高齢者がお金を持っている世代だと言われていますが、その高齢者から子世代にお金が流れれば、高齢者がお金を独り占めしているということにはならないでしょう。連結家族において、要は、上手く、お金を回すということです。世代間の対立の克服のカギにならないかしら・・。

 

・2014年12月10日、広島市中区「喜久」。

 

 この店には3年振りくらいです。

 これを見て、美味しそうだと想像する恐ろしさ。

 鍋でした。6人の集いでした。

 ヒラメです。アラを貰って帰りました。私以外、欲しいという人がいませんでしたので・・。もったいないのに、意外です。

 穴子とナスです。

 アサリの酒蒸しです。

 この日、1年ぶりくらいに二次会でスナックへ行きました。

 次の日曜日(14日)が総選挙だったからかどうか分かりませんが、ある県会議員が、支持者らしき人を連れて来ていました。(何の話をしていたかは、知りません。)

 

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