思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

訳ありの、埼玉県の「富士山」ではなく「冨士山」登山 

2006-04-30 23:55:08 | 登山
2006年4月30日、埼玉県日高市の冨士山(ふじやま)の山頂。浅間(せんげん)神社の祠がある。青いTシャツ姿で写っている僕が右手で触っているのが三角点。標高は221.2mと低いが、これが設置されているということは立派な山頂ということだ。


今日は久々に登山に行こうと1か月前から決めていて、早起きして神奈川県の丹沢あたりにでも行くつもりだったが、寝坊して、結局近場に行くことになってしまった。
しかも、午前中は急に家の風呂掃除をやる羽目になり、結局家を発ったのは12時過ぎになってしまった。
で、もうこの時間では行く場所が限られてくるので、前々から気になっていた、埼玉県日高市の富士山に行くことにした。

東武東上線とJR川越線を乗り継いで高麗川駅に行き、ここから北西方向にある富士山を目指す。黄金週間が始まり、普段の休日よりもクルマが多い。高麗川の河原でバーベキューをしている家族連れを横目に川に架かる橋を渡り、北平沢へ北上。気温は24度と暑く、歩いていると全身からブワッと汗が噴き出す。24時間前にいた埼玉スタジアム2002では長袖の上着が手放せなかったのだが、今日はTシャツ1枚でも行動でき、その落差を面白おかしく感じながら、ひたすらアスファルトを踏みしめる。

このへんはゴルフ場がいくつかあり、そこから帰ってくるクルマとたくさんすれ違う。車種を見ると、クラウン、セルシオ、ランドクルーザー、シーマ、Z、外国車など、やはり比較的高級なクルマが多い。それらを見ると、「ゴルフ=成金」の図式を勝手に連想してしまう。
これは偏見なのかもしれないが、山や里を切り崩してゴルフ場を造り、できてからは芝の維持管理に使われる薬などで土壌が汚れ、さらにはゴルフ場の大半は交通が不便な山間部にあるために利用客もクルマで訪れることによって、排気ガスが余計増える。つまり環境によろしくないということだ。だから、ゴルフを嬉々とした顔でやっている人はどうも好きになれない。それよりは、身体ひとつで楽しめる登山のような行為のほうが数段健康的で環境を意識できることなのに、と歩きながら思う。
横峯良郎・さくら親子のようなマイクロバス生活で出費を抑えていた、という事例もあるが、やはり現在のゴルフ人口の構成者の大半は、お金にものを言わせて、自分さえ良ければそれでいい、というような人々が多い印象がある。それは細い路地ですれ違う高級車の、歩いている僕(歩行者)をまったく気にすることなく、減速せずにその人間の横を疾走していくような気遣いのなさからもわかる。そういう自分勝手な振る舞いが多い政治家や官僚が特に好むのも納得。
現在のゴルフ人口は多すぎる。プレーできるのはプロ選手や、アマチュア選手でもハンデなしで1ラウンドのスコアは90以下で回れたり、ティーショットでは毎回ドライバーで200ヤード以上飛ばせるような、ある程度の条件を満たせる限られた実力者に絞っていき、それができない下手なヤツはコースに入れないなどの措置を取って、もっと淘汰されていくべきだ。それに今後の高齢化社会を考えると、同じ球を扱うのであればゴルフよりもゲートボールのほうが需要は高まってくるはずだから、ゲートボール場の整備にもっと力を入れるべきである。

舗装路で、高麗川カントリークラブ手前あたりからー緩やかに登りになり、ゴルフ場を西側に回り込むようにある道を詰めていくと、浅間(せんげん)神社の鳥居があり、ここでやっと土の道になる。
この土道を200mほど登り、途中で御師岩(おしいわ)という富士講が盛んだった当時の言い伝えのある岩を経由し、鳥居からものの5分もかからずに山頂に到着。25000分の1地形図「飯能」ではこの山の標高は221.2mとあり、ちょっと遠目から見ると山とは言い難い山容かもしれないが、そんな低さでもちゃんと三角点(四等)があり、一応は立派な山頂である。
ここは市販の道路地図や地形図では富士山と記されているが、登山道にある指導標と解説板によると、厳密にはこの山は富士山(ふじさん)ではなく、冨士山(ふじやま)という名称で、漢字も微妙に異なっている。僕はてっきり「ふじさん」だと思っていたので、ちょっと拍子抜け。
周りに咲いているツツジの赤色が映える。眺望は南のほうしか開けていないので、あまり面白みはないかも。汗を拭いながら水分を摂ったり、山頂の祠付近のゴミ拾いをしたりする。また、4時間前は家の風呂掃除に没頭し、普段使っているタワシのみならず捨てる寸前の歯ブラシも駆使して1時間半もかけて隅々まで磨いていた光景と、一方4時間後にはこの自然の只中にたたずんている落差にも面白味を感じながら、45分ほど滞在した。

下山して、さらに400mほど南にあるの白銀平(しろがねだいら)にも寄る。ここには展望台があり、360度見渡せる。だから眺望を楽しむだけなら冨士山よりもここのほうが楽しめる。スカッと晴れた日には新宿や筑波山も見られそうだ。それにしても、ここが「埼玉の自然百選」に指定されているというのは知らなかったなあ。

そして来た道を引き返し、南東方向に歩を進める。再び高麗川を渡り、JR八高線の線路を渡り、日高市役所のそばにある太平洋セメントの工場へ向かう。
埼玉県内でも屈指の大規模工場を有する、セメント業界大手の太平洋セメントのこの工場はやはり大きい。外周を歩いて半周したのだが、それに30分以上かかったくらいにとても広い。しかも積み上げられた砂利などがたくさんあって、機械も稼動していると周囲は埃っぽく、やや息苦しい。だがこういう地道な仕事がこれまでの日本経済を支えてきて、今後も現代人が生き長らえるうえでは必要不可欠な仕事かも、と思うとそのくらいは我慢しないとな、と思う。そんなことを考えながら周り、引き込み線跡を見ながら今度はまた北に向かう。

クルマの交通量の少ない道を選びながら進み、再び高麗川を渡り、城西大学とそこに隣接する明海大学を経由して、さらには東武越生線の川角駅近くにある埼玉平成中学校と埼玉平成高校を見てから、川角駅で今回の行程を終える。この辺りに着いた頃には真っ暗になってしまった。
今回は太平洋セメントの工場からなぜ高麗川駅に戻らずに毛呂山町のここまで来たかというと、実は今回最後に訪れた埼玉平成高校は僕の出身校で、久々にこの近辺の様子を確認したかったから。
現在は付属中学校ができ、校名も変わったが、僕が通っていた「埼玉高校」当時はこの付近はもっと人工物が少なく、道脇の側溝から蛙が飛び出してきたりもしたくらいにのどかな場所であった。まあ現在も中学校ができて区画整理が少し進んだ以外はそんなに変化はなく、単線で運行している東武越生線のほぼ15分おきに電車が通過する様子も変わっていない。高校を卒業してからも2、3年おきに散歩しに訪れているのでそんなに深い感慨はないのだが、それでもここに来るたびに12~14年ほど前に3年間、毎日往復2時間40分かけて電車通学していた当時を思い出す。悪く言えばド田舎、良く言えば里山っぽい小規模の自然に囲まれたこの地は、僕にとっては今後も特に思い入れの深い場所であり続ける。

今回の登山の内容全体を振り返ると、登山と言うよりは平地を10kmほど歩いて、舗装路主体のウォーキングという感じになってしまったが、まあ一応は登頂目的で家を出て、僕の登山するさいの最重要装備であるヘッドライト(ぺツル・ティカ)、登山用腕時計(カシオ・プロトレック)、カメラ(コニカミノルタ・ディマージュX20)を携行して歩いていたから、まあ登山ということにしておこう。そうなると、実は2005年10月以来6か月ぶりの登山だったのよね。なんだかんだでこんなに登山から離れてしまったのは高校生の頃以来で、“山屋”と言うほどではないけれどもいっぱしの「登山者」を自称している身としては大失態である。反省。
本ブログでは登山に関するネタをいくつか挙げておきながら行動が伴っていないというのはヘンな話なので、再びガンガン登らないとな、と意を新たにした。今回の登山のきっかけとなった、日本最高峰のほうの富士山も、2年連続で登りに行ければ行きたいが、ほかにもまだ登っていない山もたくさんあり、そちらを優先するとなると微妙だな。まあ富士山登頂をより多く狙うことはいつも頭のなかで常に意識しているけどね。

ちなみに、僕は今日のように昼頃から夜にかけて出かけて、一般的な登山者よりも行動時間を4、5時間遅らせる“オフピーク登山”が好き。「早発ち早着き」の登山の基本からは外れてはいるが、飛騨山脈や赤石山脈のような高峰は別として、よく行く近場の低山であればこのようなほかの登山者とあまり会わないようにする登り方もアリではないかと思う。こうなると夜間の行動もあるため、特にヘッドライトまたはヘッドランプは超重要装備である。日曜日に日帰りする場合は、テレビ『情熱大陸』や『やべっちFC』が観られる時間までには帰宅することを意識しながら、こういう登山も楽しんでいる。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ナニか)
2019-07-03 19:52:49
環境に悪いからゴルフ止めろってかい(笑)
ならお前は公共機関使うなよ。車やバイクも乗るなよ。
あれらも環境に悪いだろ?
出来ないなら偽善もほどほどにしとけよ。
返信する

コメントを投稿