思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

小学校(母校)の解体の費用

2014-04-30 12:00:00 | 普段の生活(日常)

今春、僕の出身の小学校である埼玉県新座市の旧新座小学校が粛々と解体中で、今月に校舎が完全に取り壊されてしんみりしている。
そのせいで、何事においてもやる気が起きない、「やる気スイッチ」が故障気味、みたいな精神状態で。まあ10年前に数百m離れた旧大正小学校との統廃合は済んでいるので(現在はそちらが新座小学校に改称されている)、こうなることは覚悟できていたつもりだが、いざ取り壊されて学校周辺の景色が一変してしまうと、ねえ。

この10年間は地元民を中心に跡地利用が議論されながらも、体育館は各種レクリエーションや福祉団体に活用されたり、校舎はいくつかの映画やテレビドラマの撮影に貸していたこともあり、僕もここ数年で特に目立つところではフジテレビのドラマ撮影で芦田愛菜が訪れていたのを目撃したこともある。
でもまあ結局は、跡地は公共施設と戸建住宅を建てるということに決まり、特に保育園の統合は良いと思う。ただ、住宅は47戸も建つそうだが、これから人口減少の時代だというのにそんなに要るものなのかねえ、という違和感もあるにはある。だったら公園にしたほうが……。

で、昨日の朝にようやく旧校舎の解体中の写真を撮りに行ったのだが(と言っても自転車で2分もかからない近所なのに、これに関しても「撮る気スイッチ」がなかなか入らなかった……)、掲示されているこの工事の概要を改めて読むと、いろいろなことがわかって面白い。しんみりするよりも、せっかくだからもう開き直って面白がるしかない。
特に気になるのがやはりこの解体工事にかかる費用で、2億3000万円超だとは。この「請負金」という金額(入札額?)が高いのか安いのかが素人目にはよくわからないが、まあこんなものなのだろう、と無理矢理に納得しておく。

身近な場所で小学校の解体なんてもちろん初体験なので、建物を大々的に取り壊した先月から今月は特に工事の進捗を興味深く眺めている。ついでにこの工事を担う淺沼組について調べたりとか。ここは元々は関西方面で強い会社なので僕も今回初めて知ったが、創業から120年超でも北関東へ進出したのは10年前からと最近のことなのね。



静かな休工日の朝を狙って撮りに行き、校舎の解体は済んであとは瓦礫の撤去ばかりなので、ようやく見えるようになった。この位置から空が見えるようになるなんて、ホントに信じられない。幼少時から35年以上観てきた景色が変わるというのは思ったよりも一大事なのね、と今頃になって痛感している。
アスベストは「調理室」の配管と「音楽室」の吸音板で多少使われていたようで、これは30年かそれ以上前に建てられた学校はどこもそんな感じなのかなあ。まあ、そういう時代だったから。



工事自体は、写真左側の周囲に建てた防音壁の有無にかかわらずそんなに騒音なく進んで良質の工事という印象。先日、あるテレビ番組で近年の高架橋や高層ビル建設など国内の建築技術に関する興味深い話を観たばかりだが、解体の技術も日本は(諸外国から視察の対象になるくらいに)世界的に進んでいるそうで、学校を扱うさいも同様なのか。
ちなみに、6年間お世話になった場所なので敷地内では各所で当然いろいろな思い出があるが、例えば敷地南側のこの写真で言うと、手前から十数mには桜の木が数本植えられていたが(極私的な桜の名所のひとつが)今回の解体で伐採されたのはとても寂しいし、手前から奥のほうへ順に低鉄棒、高鉄棒、砂場、雲梯、土管のある小山、があったが、体育の授業で特に苦手だった逆上がりと懸垂の練習がホントに大嫌いだったこととか(高鉄棒にぶら下がる懸垂は嫌いだったが、低鉄棒での斜め懸垂は好きだった)、休み時間に小山のほうで鬼ごっこみたいな感じで遊んだことも数えきれないくらいあるし、高鉄棒では小1のある休み時間に調子に乗って跳んで掴まったはよいが手が滑ってしまって落下して着地に失敗して左腕を骨折した(これが人生初骨折)、というほろ苦い思い出もある。

いろいろあった母校だが、解体工事は7月中旬まで続き、そのあとすぐにもろもろの建設が始まって来年4月には新たな生活が始まるようなので、年内いっぱいは工事ばかりを見つめることになるのか。
これも時代の流れか、と嫌々ながらも受け入れつつ、進捗を見守ってゆく。


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