26日(月)から27日(火)にかけて、東京都西部は奥多摩のある沢へ行った。これは単独ではなく、昨冬に雲取山→愛宕山を登ったときのおバカ? で、一般的ではないやや特殊な仕事ゆえにふつうに平日に休みを取れてしまう3人で。
今回の催しは昨年末あたりに提案があり、ホントは夏に行くつもりだったがなんだかんだで休みが合わずに遅れて、結局は僕の最近の仕事の都合と休みの取り方が優先でこの日になった。
目的は、ちょこっと沢登りはするものの、夜に焚き火を囲んで酒を呑んで日々のあれこれや人生について語らう、という、まあ沢のなかで単に一夜をすごすだけのことで、ただただ普段の生活から離れて非日常の時間空間を愉しむことを目指した。まあ殊更に目指した、というほどでもないけど。
結果、僕も最近は仕事優先で山へ行く機会がなく、野外関連の媒体を眺めたり、他人のツイッターやブログでどこそこへ行ったなんていうのを頻繁に見かけると、ああうらやましいなあ、と溜め息ばかりでややストレスが増幅してもいた状況なので、それだけでも弛緩できて楽しかった。
上の写真はその泊地の早朝の様子で、ここはメンバーの1人が以前から好んで通っているために土地勘があり、JR青梅線の駅から徒歩で行ける感じのところ。僕は初めて行ったが、奥多摩の沢は10年ほど前からよく行っているのでまんべんなくそこそこ詳しいつもりだったが、こんなところもあるのかー、と目からウロコの景観が拡がっていた。またの機会に、純粋に沢登り目的で再訪しようかな。
ちなみに天気は、26日は曇りで夕方からやや雨もパラついたので、テントは持参しなかったのでツェルト(黄色のやつ。アライテントのスーパーライトツェルト1~2人用)を2枚連結してタープ代わりにして寝たが、夜半から晴れてきたのは幸いだった。翌27日は快晴でかなり暖かかったし。そろそろ寝るときも、何もなしのゴロ寝やシュラフカバー単体では寒くなってきたので、再び寝袋をフル活用する季節になってきたか。今年は標高3000m以上の山の降雪は例年よりもやや早いらしいので、平地も少しは早くなるのかしら。
沢で寝泊まりしたのは数年ぶりだったが、久々に体験して今後の沢泊のために大きめのタープが欲しくなった。「サバイバル登山」の服部文祥氏のように、アライテントに特注のタープを作ってもらいたいなあ。というか、そんな有名人ではなく僕らのような一般人にも特注対応してくれるのかなあ。
そういえば焚き火も、ここ数年の毎年末の年越し野宿以外では久々にやったかなあ。27日の帰路で身に着けているものの大半が焚き火に燻された「匂い」だったのも久々の感覚(人によっては悪い意味での「臭い」だったかもしれないけど)。
そこで久々に焚き火をやっていて思ったことだが、近年、焚き火が全国的に規制される、文字通り煙たがられるような風潮があることは当然知っているが、3月の震災以降、そういった不測の事態が起こったときにも、このように電気に頼らずとも暖を取れて煮炊きもできる(僕はボーイスカウト活動などの影響で小学生のころからやっている)この技術は被災地でも随分役に立ったはず。特に生死にかかわる寒さが続いた3月中は。まあ報道の映像を観ると、瓦礫の一部からかまどを作ったり一斗缶を使ったりして、燃やす薪は同じく瓦礫から取っていたのが大半だけど。
あれから半年以上経って、避難所暮らしや野宿に近い生活からは脱して生死にかかわる緊急的な支援の時期はすぎて、そろそろどの地域でも焚き火というか直火に頼らざるを得ない状況は改善されたようだが、でもやはり何か起こったときにこういう技術は必要だと思うし、それを痛感した人も例年以上に全国的に多いはずなので、公的にも私的にも焚き火を煙たく思っている人はその考えを改めてほしいよなあ。特に野山へよく赴く人は。
また、最近の焚き火に関することで興味深かったのは、『岳人』の新谷暁生氏の連載「北の山河抄」で毎年の北海道・知床岬周辺のカヤックツアーでの焚き火を活用する実情について書いていたことか。全国的にもっと認められるといいね。
ついでに挙げると、メンバー3人とも平日に休みが取れる、と触れたが(その理由は昨冬の雲取山の投稿も要参照)、今年はその震災以降では3人ともに被災地へ数日間だが手伝いに行っていて、ひとりが石巻市、もうひとりが南三陸町や女川町、それと僕が亘理町、といずれも宮城県内だが4~7月頃の被災地の状況をわずかながら視てきているので、実際の先の一夜では取り留めのないバカ話ばかりでそういう込み入った話は具体的には出なかったが(まあ普段から原発や放射能の問題も含めて情報交換はしているし)、その経験もいくらか影響して今回は焚き火を積極的に愉しむ、というかその直火の力を再確認したかったためにこの流れになったのかもしれない。
というわけで、日常から軽く離れてちょこっとストレス発散になり、最近離れ気味の野外での生活技術の再確認もでき、実は27日の帰路で多少の道迷いも体験して、と僕としてもこぢんまりとしたゆるい催しながらもいろいろと有意義だった。
ちなみにこの集まりは“オフ会”と称して昨年から活動していて、それは一般的ないわゆる「オフライン」の意味もあるが、偶然にだが3人の名字のイニシャルがOとFとFのため(Fのひとりが僕)、その表記は厳密には“OFF会”となる。ああついでに触れると、いつでも“やる気スイッチ”が入らなくて本業では低調、というふがいない意味も多少含んでいる。
今後も毎年欠かさずではないかもしれないが同様のゆるさで不定期で継続してゆくことになるらしく、僕としても自分に正直に不安を抱えながらも行きたい単独登山よりはかなり弛緩したお気楽な雰囲気にはなるが、こういう仲間内の遊びもまた面白いので、ゆるゆる続けていこうと思っている。
ああもちろん、仲間内以外にも野遊びも誰とでも好むので、嗜好と日程が合えば今後もじゃんじゃん行きたい気持ちはある。もっとその時間とお金を作らねば。
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