思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

「あの花」にはまった2013年夏

2013-09-30 23:59:59 | その他趣味

フジテレビでは毎週木曜日深夜(だから金曜日)に放送のノイタミナ枠のアニメもここ数年は結構観ているほうだと思うのだが、これまで放送されたなかでは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』、略称「あの花」の人気が特にあると思う。放送後の現在も。
8月の劇場版の公開に合わせて、今夏のクールに再放送もされたし。これを観直して、はまった。
ノイタミナ枠では10年4月以降は基本的に“上段”と“下段”の30分アニメ2本が1クール(連続ドラマと同様に3か月間)または2クール(同6か月間)放送される体制のなかで、今夏の上段が(僕も週刊少年サンデー連載の原作が好きな)『銀の匙』のアニメ化で下段が「あの花」再放送、の組み合わせが過去最高だったと思う。

あらすじは公式サイトの「ストーリー」でもわかるし、(普段はあまり頼りたくないが)ウィキペディアにもよくまとまっているがざっくり触れると、あだ名で言うところの、“じんたん”、“めんま”、“あなる”、“ゆきあつ”、“つるこ”、“ぽっぽ”、の「超平和バスターズ」の6人の男女をめぐる、小学生のときに事故死しためんまへの想いと、その5年後にじんたんにだけは見えて触ることもできて飲食も就寝もする幽霊? として現れためんまと高校生となったほかの5人の思春期ならではの痛みやトラウマと再び向き合う感じの話ではあるが、その痛みというのが誰しも少年少女時代に似たようなことを経験していそうな絶妙なところを突いていて、観ているほうの子どもの頃の記憶を半ば無理矢理に? 呼び起こされてしまう大人のアニメであるね。

痛みというと特に、話数が進むにつれてのそれぞれのめんまへの想いのぶっちゃけぶりと、片想いの連鎖が痛い痛い。
その片想いを系統立てると、めんま以外の5人は全員めんまが(友達として)好き、という前提はあるが、

・めんま←じんたん←あなる
・めんま←ゆきあつ←つるこ
・じんたん←めんま

の3通りあり(ぽっぽは色恋沙汰に関しては無頓着というか中立みたいな立場)、ゆきあつは友達以上の過剰な感情を抱き続けていた、という痛さも前半から中盤に露見され、じんたんも最終的にはめんまに対して特別な感情があることがわかる。逆にめんまは10話の、

「お嫁さんにしたい、の好き」

という(おそらく全話を通じての)名言にもあるように、(めんまが亡くなる前にひと悶着あったが)結局はじんたんとめんまは両想いであることがわかったりする。恋愛モノによくある、いわゆる三角関係とはちょっと違う気がする。
という、思春期の男女が揃えば(現実にも)色恋沙汰は当然あるだろうが、それに伴う痛みも包み隠さずちゃんと描いているのもまた良い。

しかもこの作品はマンガ原作ではなくテレビ用のオリジナルで(「あの花」は小説版も同時進行していたが)、最近のアニメはどちらかと言うと前者のほうが多いが、ノイタミナ枠というオリジナルで挑戦的な内容にも寛容な舞台があるのは良いことだ。

「あの花」の比較的の人気ぶりは当初は震災直後の11年4月から6月という微妙な時期に放送されていた影響もあると思うが(なんか心がざわつく時期にフィクションに現実逃避したい、という人も結構多かったのではないかと思う)、僕はテレビシリーズ全11話のうち最終回を含めて3話くらいしか観ていなかったので当時ははまるほどではなかったが、埼玉県秩父市が舞台のいわゆる「ご当地アニメ」でもあることも含めてあらすじは知っていた。それで昨年に今夏の映画化を知り、DVDレンタルで改めて観よう観よう観ようと長らく思いつつも機会を逸し続けて時間が流れたら今夏の再放送を迎えてしまい、結局はここで全話を観直して、改めてはまった。エンディング曲にはZONEのヒット曲「secret base」のカヴァーを使っているが、この使い方もストーリーとがっちり噛み合っていてスバラシイ。
劇中の背景もよく観ると、僕も見慣れて登り慣れている武甲山や、西武鉄道・西武秩父駅前をはじめ街の様子もきちんと描き込まれていて、ロケハンにもかなり力を入れていたことがそれだけでわかる。

その流れで当然、劇場版も観た。遅まきで一昨日に。
アニメでテレビシリーズの映画化というとそれの焼き直しになってがっかりすることは『宇宙戦艦ヤマト』の頃から結構多いが、これはたしかにテレビの流れを基にちゃんとそれを補足しながら(めんまがハーフであることに関係ある「ノケモン」の意味とか、蒸しパンの作り方とか、めんまがじんたんの前に現れた理由とか)明確な答えも出した完全版として成立していて、良かった。流れは知っているのでそんなに泣きはしなかったけど(むしろテレビシリーズ終盤のほうが泣けるかも)。一見さんも入りやすい内容だったと思う。

そういえば、タイトルにある「あの花」の「花」はなんのことか、はテレビシリーズの最終回で触れているが、劇場版の初見でもまあわかるか。だって、Galileo Galileiの劇場版主題歌「サークルゲーム」の歌詞にもあるから。

それで放送後は実際に秩父市内でも地域振興券・オリジナルグッズの販売や、テレビシリーズ終盤に高校生のじんたんの前に再び現れためんまを成仏させるための願掛けの装置として使われた毎年10月第2日曜日に開催の「龍勢祭」にも11年からロケット打ち上げの奉納に参加し続けていて、今夏はほかにも西武鉄道埼玉西武ライオンズとのコラボレーション企画も盛んで、とまあ映画化の影響もあるが数ある「ご当地アニメ」のなかでも、全国的にも最も大きな巻き込み方とこの西武鉄道沿線との地域密着ぶりだと思う。行ったことはないが公開イベント「あの花夏祭」も好評だそうで。これまでの秩父の大きな見所の、盆地、石灰岩、セメント、秩父夜祭、秩父札所三十四ヶ所巡礼、芝桜、わらじカツ丼、とは別に、秩父観光の新たな目玉として「聖地巡礼」が定着しつつある。
それが地元の埼玉県内で繰り広げられているのは嬉しいものだ。

で、上の写真は、西武鉄道絡みに近いが、8月下旬から9月上旬に劇場版公開に合わせて池袋パルコ本館で催されたパネル展「ANOHANA PRODUCTION NOTES」を観に行ったときのもので、映画の一部のカットの作画の流れが順序立てて展示されていて、良かった。つい1時間近くかけて見物しちゃった。

以下はおまけ。



「ANOHANA PRODUCTION NOTES」の宣伝用のイメージカットみたいな。このコラボレーションぶりもオリジナルだから貴重だよなあ。


テレビシリーズでは高校生のゆきあつとつるこは秩父から飯能の進学校へ通っている設定だが、5話で飯能駅の西武秩父線の入るホームのベンチにふたりが座る場面があり、そのモデルがここ。この裏に、劇場版公開の広告と5話でこのベンチを使ったことを示す掲示があったりする。
そういえばこの5話で実際にもある、西武秩父線の乗車中に特急列車(レッドアロー号)を先に通過させるためにトンネル内で普通列車が一時停止する様子も描かれているが、そういう芸の細かいところも好き。


映画公開に伴って、というわけでもないのだろうが、じんたんはテレビシリーズ各話で(引きこもりの設定があまり暗く見えないようにという配慮で?)いろいろな柄というか文字のプリントの面白Tシャツを着ているのもこの作品の特徴だが(最近は有名観光地でもこのようなふざけた文字やパクリ絵柄のTシャツを推しているところもあるね。お笑いに特に敏感な大阪市内が顕著か)、それを実際に作って展示してしまったというのがなんとも。しかもこれ、劇中ではその微妙な書き文字に脚本・演出上は誰も何もツッコまずに淡々と話が進んでいるのがまた可笑しい。
ちなみに、劇場版は新所沢レッツシネパークで観た。西武鉄道沿線の映画館で観ることにこだわったから。そうなると、こことシネ・リーブル池袋の2択なのよね。テアトルシネマグループの会員なので、少し安く観ることができるし。


実は、劇場版を観に行ったのが公開から1か月近くあとと遅れたのはわざと遅らせたからで、というのも公開1週目から来場者に週替わりで各キャラクターの絵と担当声優のメッセージ入りの「ウェルカムポートレート」を配布していて、僕はそれのあなるバージョン(公開5週目)が最も欲しかったから。これ、6人分すべて集めるために6回観に行った人もいるんだろうなあ。
ちなみに、僕の好きなキャラクターは11年の放送時は最も目立っていたことからめんまで、めんま派だったが、再放送を観直してあなる派に乗り換えた。見た目はチャラいが(めんまほどでもないが)純真で6人のなかでは最も情熱的で、じんたんへの片想いと切実なぶっちゃけぶりにも(その結果はともかく)好感が持てたから。お嫁さんとして迎えるのはどうかと思うが、友達としては一緒に居ると楽しそうだと思う。カラオケも上手いし(これは劇場版のひとネタ)。「あなるあなる言うなー」と怒る、あだ名を使った(下ネタ混じりの)小ネタもあったが、この作品で各キャラクターの本名よりもあだ名を強調する設定は、ひょっとしてあなるのためにそうしたのだろうか? とつい思ってしまったりもした。
なお、その下は月刊誌『Cut』13年9月号の「あの花」特集で、この号の目玉の特集は『風立ちぬ』に関する宮崎駿3万字インタビューだが、それももちろん良かったのだが実はどちらかと言うと「あの花」の記事のほうが読みたかったので久々に買った次第。そのなかで制作陣の、長井龍雪(監督)×岡田麿里(脚本)×田中将賀(キャラクターデザイン・総作画監督)、の鼎談が特に良かった。セリフも演出も恥ずかしいのがわかっていながらも絞り出していたことがわかり、「表現」って痛みも伴う? 恥部も惜しみなく曝け出すことも肝要だからなー、と納得。


『Cut』の鼎談で初めて知ったが、「あの花」を創った長井・岡田・田中の3人はいずれも僕と同世代なのよね。育った環境は異なっても世代が同じということだけで共感できることは多い。よくわかるわーこれ、という場面が今夏に観直していて結構多く見つかり、ああなるほどと合点がいくこともしきりであった。
僕が3、4年前からプリキュアシリーズも含めてアニメを再びよく観るようになったのは創り手が同世代に移り変わってきた(どの業界の仕事にも言えるが、ある意味、同世代が世間を刺激したり動かしたりする主役の立場に育ってきた)ことが最大の理由だが、「あの花」もその流れに乗って、世代的に感覚が特に近い面々が良い雰囲気のなかで創っていることもわかり、となるとより嬉しいものだ。今後もこの3人にはどんどん動かしていってほしい。

そういえば龍勢祭、今年は来月にもあるが、これには行けるかなあ。昨年と一昨年は仕事の都合で断念したが(それ以前に10年ほど前からずっと興味はある、でも未見の行事だけど)、今秋は仕事が少なめでなんとか行けそうな感じなので、善処したい。
それとは別に聖地巡礼はまだちゃんとはやっていないので、(秩父は昨年末にも行ったが)改めて近いうちに再訪してくまなく巡っておきたい。
というくらい、今夏は「あの花」にはまったのであった。


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