思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

自転車乗りを「チャリダー」と呼ぶことの是非

2010-08-13 00:00:00 | 自転車
『BE-PAL』10年9月号のシェルパ斉藤さんの連載「シェルパ斉藤の旅の自由型」は、次男・南歩くんとの九州縦断自転車旅の3回シリーズの最終回なのだが、今月号の冒頭で南歩くんが「チャリダー」と呼ばれたことについて諭すカタチで、斉藤さんがこの表現を嫌う旨が記されている。二輪車つまりオートバイ乗りを一般的に「ライダー」と呼ぶことに引っ掛けて最後の「ダー」を付けることも含めて(「チャリ+ダー」が気に食わないということ)、「チャリダー」を「子供っぽくてセンスのない造語」とばっさり斬っている。

斉藤さんの身近なところでは使う人はいないと続けて書いている「チャリダー」は、僕の身近な、特にここ数年活躍している若い世代の自転車で旅する人にはすっかり浸透しているという印象があり、その感覚の落差にちょっと戸惑ったりもする。僕はそんなに違和感ない表現だと思うし、自転車乗りがライダーに対して迎合や卑下しているとも周りからの蔑称だとも思わないんだけど。
むしろ、登山業界で言うところの「山ヤ」や「沢ヤ」や最近流行りの「山ガール」のように、その分野をさらに細分化して限定的に表す場合に都合が良いし、しかも前向きな愛称というか俗称というふうにも捉えられる。自転車業界でもほかに「マウンテンバイカー」とか「ローディー」みたいな区別もあるし、そのひとつとして自転車で旅する人の総称としての「チャリダー」もあってもよいと思うけどなあ。自転車といっても車種も、ママチャリ、クロスバイク、MTB、ロードバイク、ランドナー、フォールディングバイク、などいろいろあるが(ピストはブレーキ付きならまあいいか。それぞれの車種で最近も旅している知り合いも結構いる)、車種ごとの表現だと面倒なので、旅のときの総称ということでどうでしょう。

ただ、「チャリダー」は多種多様な移動手段のある旅のなかで特に雑誌などの媒体主導で一時的なブームとして流行ることよりも旅人たちのあいだでのクチコミのなかで特に(人力派の旅人に)通じるべき表現であり、あえて自転車で旅している人の旅情やその悲喜こもごもを理解する気も毛頭ない通りすがりのクルマやオートバイによる動力利用の一見さんが「チャリダー」を冷やかし半分で蔑称として軽々しく言い放つような使い方にはさすがに僕も立腹するが、そんなに批判・否定的な見方ではなく愛称として肯定的に見られるのであればもっと世間に浸透してもよい表現だ。
まあ明文化する場合はたしかに軽い表現なので僕もそんなに積極的には使わないし、基本的には本ブログでも自転車が好き、自転車で旅することが好きな人は「自転車乗り」と表記するほうが妥当と判断してそうしているけど(無理矢理に流行らせようとも思わない)、旅人同士の生の会話のなかにはふつうにあってもいいんでないの?

例えばここ数年の日本縦断の旅を見ても、一般的によくあるオートバイ・自転車・徒歩のほかにも人力車や竹馬やリキシャ(日本の人力車が由来の、現在は南アジアによくある自転車タクシー)であえて進む人も出てきているくらいに旅のカタチも多様化しているから(その選択理由や旅の目的も人それぞれ)、その形態を表現する場合の語句も多様化して然るべきで、軽い表現によって敷居が低くなるのはそんなに悪いことではないと思う。また登山に例えてしまうが、現に特に今年に入ってからの「山ガール」ブームの加熱によって爆発的? に登山に傾倒する女子が増えているし(登山初心者の洗練と淘汰はこれから徐々に進み、ホントに続けてゆきたい人だけが残るはず)、そういう今後の野遊びへの理解も含めたもろもろの可能性を考えるとそれと同様に「チャリダー」という表現が生きてひとまず入口が広い状態はアリではないかと。

僕は基本的に斉藤さんの書くものは全面的に大好きで、経済的にはまだ買えない今春発売の『シェルパ斉藤の島旅はいつも自転車で』(二玄社刊)以外の著作はすべて初版で持っているし、雑誌連載も毎号チェックするくらいにデビュー当時から好きな書き手なのだが、ここ数年はこういった排他的な記述もたしかに増えつつあるのも感じていて(現在は中学生以上の2児の父親になって、人生の守りに入った影響もある?)、僕は今回の「チャリダー」否定論には珍しく賛同できない(簡単に言うと大人気ない、という感じ)。

まあ、ある言葉に対しての語感の感じ方というか好き嫌いも人それぞれあるから賛否が分かれるのは致し方ない面もあるけど、大人も子どもも関係なく楽しめる野遊びを体験してそれを書いて広く伝えてゆく立場にあって、しかも近年のその分野の多くの書き手たちのなかでは実働20年超でもうベテランの域に入りつつあって実績・知名度ともに上位に位置する斉藤さんらしからぬ尖った一文で、失礼ながら最近の若い旅人との普遍的な価値観のズレの兆候なのかも、とも感じた。
旅に関しては特に発想で子どもっぽい面もあってよいと思うし(同連載のこの前のシリーズの「北海道のJR駅名しりとり」なんてその好例)、それを嬉々として楽しむ行動とそれをそっくりそのまま明文化する軽妙さがこれまでの斉藤さんの旅の売りだったはずだけど。ここ数年、顎・足・枕付きの取材混じりの「大人の旅」もたまに書くようになった影響もあるのかなあ。うーむ。

ほかの読者、とりわけ現役バリバリの自転車の旅人がこの一文を読んでどう思うのかも気になるところなので、この9月号の連載だけでもぜひ読んでみてちょ。現在の野外業界的にとても影響力のある人の書くことだから、そこそこ波紋を広げそうだなあ。
果たして今後、例えば斉藤さんが旅先で自転車乗りに出会ってしかもその旅人が自ら「チャリダー」を名乗ったりした場合にはどういう反応を見せるんだろうか。

「チャリダー」は旅先での旅にあまり興味・関心のない人との前向きな触れ合いにおいて使うにはなかなか有効な表現だと思うし(初対面の人と打ち解ける場合に、軽い表現が逆に良い方向に作用するのでは?)、実際に好んで自転車で旅している人はそんなに自らのその旅のカタチを卑下することもないと思うけど。卑下するくらいだったらクルマとかオートバイとか別の手段にさっさと乗り換えているでしょう。つい最近も、元々は世界各地を旅するライダーだがそれよりもラクだろうとたかをくくって自転車の旅にも手を出しかけたけれども結局は長続きせず、その旅用自転車(ジャイアント・グレートジャーニー)を他所に売却した知人もいるし。人力で旅するにはそれなりの覚悟と発想の柔軟さが要るものだ。

旅においてのヒッチハイクや耕運機やスーパーカブのような動力利用も結構多い(ついでに挙げるとここ数年は野宿・テント泊とともに宿泊まりも多い)斉藤さんよりも、なにがしかの運転免許はひとつも持っていなくて人力率の高い僕は引き続き「チャリダー」を、移動速度はさらに遅いそれに類似した徒歩の旅人を表す「徒歩ダー」も好意的に使い続けるつもり。


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