わたしが住んでいる千葉県松戸市は、JR松戸駅から電車に乗ると1分も経たないうちに江戸川にさしかかる。鉄橋を越えるともう東京だ。
昔は水戸街道の「松戸宿」として栄えたらしいが、東京のベットタウンとして50万人近い人口をもつ。
わたしがわらび座から母の元に来た23年前には、家の近辺は田や畑がたくさん残っていた。森や林はあまりない。関東平野の広い耕作地で、昔からよく開墾されつくされた土地なのであろう。カブやほうれん草、枝豆が季節を変えて植えられている。
「森のホール」や「博物館」ができた「千駄堀」は、うっそうとした林であった。 今では「21世紀の森」として、見通しのよい広場が中心をしめる。
松戸市は広いからまだまだ緑地は残っているにちがいないが、その多くをわたしは知らない。
新松戸に近い地域に、「関さんの森」がある。梅林や竹林、広場もありザリガニや蛙がいる池もある。狸もたまには顔をだすそうだ。
人口急増時に国道6号線につなげる道路が開設され、関さんの森に突き当たり左右に分かれる。
道路を直進させて6号線につなげる計画がたてられた。
「家屋敷・林などをつぶさないで、地下道路にしてもらいたい」と、先代の関さんが45年前に主張して、一旦はそのような計画になったのだという。
だが、地下道案を捨てて、関さんの森を貫く道路をつくることに行政は拘泥しはじめてきたようだ。
以下の文章は、「関さんの森ニュース」に「子どもたちの歓声」と題して、寄せたわたしの感想である。

ザリガニがいる水路
わたしが買い物がてら散歩するコースに水路がある。コンクリートに覆われない土の水路で25メートルほどの長さ、巾は大人だと一跨ぎである。水の深さはくるぶしの上あたり、だが土色に濁っているから水の中は見えない。
田んぼと田んぼの間を通る農道の脇にあるから、場所によっては薄く油の膜がういているところもある。
ここは子どもたちの狩りの場として、毎日のようににぎわっていた。ちょっとした棒の先にたこ糸を垂らして、スルメを結びつける。ザリガニを釣っているのだ。 小学校低学年とおぼしき子どもたちが大勢、群れて歓声をあげていた。
わたしの住んでいる松戸市古ヶ崎周辺は、田や畑だった所が宅地になり、以前は夕方になると、蛙の合唱がうるさいほどであった。今は、聞くことがない。
そして、子どもが群れて遊んでいる姿も、ほとんど見られなくなった。
田の畦ののり面で、草に囲まれ狭いながらも自然が残る一角に、子どもたちが集い歓声をあげている。
この子たちを「関さんの森」に連れて行ったら、どんな遊びを始めるだろうか。
かってあった、神社の杜(もり)も点在する農家の防風林も伐られて、バッタも蛙も蛇もいなくなった。
そして、子どもたちは群れることなく、どこに姿を隠しているのだろう。
自然を残せれば、そこに子どもたちの歓声がきっと響きわたるにちがいないと、ザリガニをとる子どもたちを見ながら思うのである。
昔は水戸街道の「松戸宿」として栄えたらしいが、東京のベットタウンとして50万人近い人口をもつ。
わたしがわらび座から母の元に来た23年前には、家の近辺は田や畑がたくさん残っていた。森や林はあまりない。関東平野の広い耕作地で、昔からよく開墾されつくされた土地なのであろう。カブやほうれん草、枝豆が季節を変えて植えられている。
「森のホール」や「博物館」ができた「千駄堀」は、うっそうとした林であった。 今では「21世紀の森」として、見通しのよい広場が中心をしめる。
松戸市は広いからまだまだ緑地は残っているにちがいないが、その多くをわたしは知らない。
新松戸に近い地域に、「関さんの森」がある。梅林や竹林、広場もありザリガニや蛙がいる池もある。狸もたまには顔をだすそうだ。
人口急増時に国道6号線につなげる道路が開設され、関さんの森に突き当たり左右に分かれる。
道路を直進させて6号線につなげる計画がたてられた。
「家屋敷・林などをつぶさないで、地下道路にしてもらいたい」と、先代の関さんが45年前に主張して、一旦はそのような計画になったのだという。
だが、地下道案を捨てて、関さんの森を貫く道路をつくることに行政は拘泥しはじめてきたようだ。
以下の文章は、「関さんの森ニュース」に「子どもたちの歓声」と題して、寄せたわたしの感想である。

ザリガニがいる水路
わたしが買い物がてら散歩するコースに水路がある。コンクリートに覆われない土の水路で25メートルほどの長さ、巾は大人だと一跨ぎである。水の深さはくるぶしの上あたり、だが土色に濁っているから水の中は見えない。
田んぼと田んぼの間を通る農道の脇にあるから、場所によっては薄く油の膜がういているところもある。
ここは子どもたちの狩りの場として、毎日のようににぎわっていた。ちょっとした棒の先にたこ糸を垂らして、スルメを結びつける。ザリガニを釣っているのだ。 小学校低学年とおぼしき子どもたちが大勢、群れて歓声をあげていた。
わたしの住んでいる松戸市古ヶ崎周辺は、田や畑だった所が宅地になり、以前は夕方になると、蛙の合唱がうるさいほどであった。今は、聞くことがない。
そして、子どもが群れて遊んでいる姿も、ほとんど見られなくなった。
田の畦ののり面で、草に囲まれ狭いながらも自然が残る一角に、子どもたちが集い歓声をあげている。
この子たちを「関さんの森」に連れて行ったら、どんな遊びを始めるだろうか。
かってあった、神社の杜(もり)も点在する農家の防風林も伐られて、バッタも蛙も蛇もいなくなった。
そして、子どもたちは群れることなく、どこに姿を隠しているのだろう。
自然を残せれば、そこに子どもたちの歓声がきっと響きわたるにちがいないと、ザリガニをとる子どもたちを見ながら思うのである。