果たしてその時間まで起きていられるだろうか、12月9日はそんな試練の日となった。深夜1時20分から「NNNドキュメント`07」が始まる。
長野県阿智村に住む加藤木朗一家6人の芸と生活を2年半にわたって追った、ドキュメント「桜の下で」が半年前、5月19日(土)と翌週29日の2回、テレビ信州で60分番組として放映された。
取材に要したフイルムは200本、編集に2ヶ月余をかけて公開された作品は、信州の大自然の下で伝統芸を受け継ぐ親と子の絆が、詩情豊かに表現されていた。
「テレビ信州」は長野県限定の電波なのであろう、関東に住むわたしたちは残念ながら見ることができなかった。
わたしはディレクター小口浩美さんから送ってもらったDVDをダビングして「桜の下で」をかなり多くの方に見ていただいた。
「全国で見られないのはもったいない内容だよ」と伝手を辿ってマスコミ関係に働きかけてくださる方や、「わたしは一日中見ていました、一旦テープは返すが又、貸してくださいね」と言われる方などで、放映から半年経っても手から手にダビングしたテープは動き回っていた。
そんな最中での全国放映の知らせである。わたしと妻は手分けして200名にちかい方々に連絡したように思う。弟の雅義もメールや通信などで広範囲に連絡してくれ、雅義の娘さん桜子ちゃんもブログで呼びかけてくれた。
松戸の実行委員の人々も働きかけてくれたから、全国ではどれほど大きな動きになったか底が知れないくらいだ。
ディレクターの小口浩美さんが所属する会社のホームページを開くと、全国放映に向けて徹夜作業で編集をしている小口さんの写真が写っている。
30分に凝縮しての放映だというから、「どの部分を削って凝縮するのだろう」と小口さんの写真を見ながら思っていた。
全国放映されたものは、60分を単に30分に凝縮したものではなかった。大自然のなかで紡がれる親子の絆、そのテーマーは変わっていない。変わっていないが、新しく導入された画面がたくさんあったのだ。
前回の画面では語ることが少なかった磊也(らいや)が、小学生に手を添えてバチさばきを教えていたりする場面などが挿入された。
教えられる側だっただけの前回放映から、一歩踏み出した姿が捉えられている。
「NNNドキュメント`07」が深夜1時50分に終わるとたんに電話が鳴った。「遅い時間だけれど、まだ起きていると思って…」。「夫が起きていてテレビを見ていたら、加藤木朗さんが写っていてびっくりしてわたしを起こしてくれた。とても中身がよくて感動しました」。松戸公演で「和力」をごらん下さる方からの電話だった。
翌朝になると、黒木啓さんからも電話が入った。黒木さんはカメラマンでわらび座時代からの友人である。「画面がとても澄明で美しかった。その中で芸に励んでいる朗親子の姿は逞しかった。朗君が生まれ故郷のわらび座に行っての交歓も紹介されている。芸を取得した原点がわらび座であったのは、元わらび座員としても嬉しい感慨をもつ」と語ってくれた。
弟の雅義にも感想を言って下さった方が何人もいたようだ。そのうちの一人、同僚のYさんからのメールを送ってくれた。
……今朝はねむいなぁ~。
昨晩、夜中に目が覚めて、寝付けなかったのでTVを観ていたら、「加藤木朗 さん」のドキュメントを放送していました。
朝も早いのに、内容が興味深かったため、最後まで観てしまった次第です。
思春期の多感な時期の子どもたちに、世間一般とは違う生活・生き方を強いて はいないか、選択させてはいないかという親の心配と、子どもの親への信頼感 がなかなか普通の家庭では築けない絆を、番組をみていて感じました……。
月曜日から人に会う度に「観たよ、みたみた。よかったねぇ。60分のを観ていて30分に短縮されるから、中身が薄くなりはしないか心配したけど、テーマーが浮き立って見劣りしなかった」とこもごもに言って下さる。
わたしは、今回は満を持して「録画」の準備をしていた。すでに番組が発表されてから、「録画して送って欲しい」という要望もあったのだ。
ところが、翌日「再生」して観ようとしたら、なんとテープが絡まって録画されていない。いくら努力しても動かないのだ。
本番の録画前に、「失敗しては事だ」と何回かリハーサルをやっていた。番組を写しては巻き戻し、再生しては録画して「これで大丈夫」と自信がつくまで繰り返したのだ。
多分、その過程でテープが絡まったのに相違ない。
木曜日に自分の大切にしていた着物をくださる、82才のおばぁちゃんの所へいく。
おばぁちゃんはこの番組を楽しみにしていて、テレビを点けっぱなしにして待っていたそうだ。ところが不覚にも眠ってしまって起きたのが3時だと言って嘆いていた。このおばぁちゃんに早速もっていく予定だったが残念なことをした。
朗がDVDを送ってくれそうな気配だったから、それを待って観られなかったみなさんに、観てもらえるようにダビングしようと待ち構えているところである。
長野県阿智村に住む加藤木朗一家6人の芸と生活を2年半にわたって追った、ドキュメント「桜の下で」が半年前、5月19日(土)と翌週29日の2回、テレビ信州で60分番組として放映された。
取材に要したフイルムは200本、編集に2ヶ月余をかけて公開された作品は、信州の大自然の下で伝統芸を受け継ぐ親と子の絆が、詩情豊かに表現されていた。
「テレビ信州」は長野県限定の電波なのであろう、関東に住むわたしたちは残念ながら見ることができなかった。
わたしはディレクター小口浩美さんから送ってもらったDVDをダビングして「桜の下で」をかなり多くの方に見ていただいた。
「全国で見られないのはもったいない内容だよ」と伝手を辿ってマスコミ関係に働きかけてくださる方や、「わたしは一日中見ていました、一旦テープは返すが又、貸してくださいね」と言われる方などで、放映から半年経っても手から手にダビングしたテープは動き回っていた。
そんな最中での全国放映の知らせである。わたしと妻は手分けして200名にちかい方々に連絡したように思う。弟の雅義もメールや通信などで広範囲に連絡してくれ、雅義の娘さん桜子ちゃんもブログで呼びかけてくれた。
松戸の実行委員の人々も働きかけてくれたから、全国ではどれほど大きな動きになったか底が知れないくらいだ。
ディレクターの小口浩美さんが所属する会社のホームページを開くと、全国放映に向けて徹夜作業で編集をしている小口さんの写真が写っている。
30分に凝縮しての放映だというから、「どの部分を削って凝縮するのだろう」と小口さんの写真を見ながら思っていた。
全国放映されたものは、60分を単に30分に凝縮したものではなかった。大自然のなかで紡がれる親子の絆、そのテーマーは変わっていない。変わっていないが、新しく導入された画面がたくさんあったのだ。
前回の画面では語ることが少なかった磊也(らいや)が、小学生に手を添えてバチさばきを教えていたりする場面などが挿入された。
教えられる側だっただけの前回放映から、一歩踏み出した姿が捉えられている。
「NNNドキュメント`07」が深夜1時50分に終わるとたんに電話が鳴った。「遅い時間だけれど、まだ起きていると思って…」。「夫が起きていてテレビを見ていたら、加藤木朗さんが写っていてびっくりしてわたしを起こしてくれた。とても中身がよくて感動しました」。松戸公演で「和力」をごらん下さる方からの電話だった。
翌朝になると、黒木啓さんからも電話が入った。黒木さんはカメラマンでわらび座時代からの友人である。「画面がとても澄明で美しかった。その中で芸に励んでいる朗親子の姿は逞しかった。朗君が生まれ故郷のわらび座に行っての交歓も紹介されている。芸を取得した原点がわらび座であったのは、元わらび座員としても嬉しい感慨をもつ」と語ってくれた。
弟の雅義にも感想を言って下さった方が何人もいたようだ。そのうちの一人、同僚のYさんからのメールを送ってくれた。
……今朝はねむいなぁ~。
昨晩、夜中に目が覚めて、寝付けなかったのでTVを観ていたら、「加藤木朗 さん」のドキュメントを放送していました。
朝も早いのに、内容が興味深かったため、最後まで観てしまった次第です。
思春期の多感な時期の子どもたちに、世間一般とは違う生活・生き方を強いて はいないか、選択させてはいないかという親の心配と、子どもの親への信頼感 がなかなか普通の家庭では築けない絆を、番組をみていて感じました……。
月曜日から人に会う度に「観たよ、みたみた。よかったねぇ。60分のを観ていて30分に短縮されるから、中身が薄くなりはしないか心配したけど、テーマーが浮き立って見劣りしなかった」とこもごもに言って下さる。
わたしは、今回は満を持して「録画」の準備をしていた。すでに番組が発表されてから、「録画して送って欲しい」という要望もあったのだ。
ところが、翌日「再生」して観ようとしたら、なんとテープが絡まって録画されていない。いくら努力しても動かないのだ。
本番の録画前に、「失敗しては事だ」と何回かリハーサルをやっていた。番組を写しては巻き戻し、再生しては録画して「これで大丈夫」と自信がつくまで繰り返したのだ。
多分、その過程でテープが絡まったのに相違ない。
木曜日に自分の大切にしていた着物をくださる、82才のおばぁちゃんの所へいく。
おばぁちゃんはこの番組を楽しみにしていて、テレビを点けっぱなしにして待っていたそうだ。ところが不覚にも眠ってしまって起きたのが3時だと言って嘆いていた。このおばぁちゃんに早速もっていく予定だったが残念なことをした。
朗がDVDを送ってくれそうな気配だったから、それを待って観られなかったみなさんに、観てもらえるようにダビングしようと待ち構えているところである。
VHRは、知人に録画してもらって、昨日の朝観ました。よかったですね。
黒木さんと全く同感でした。わらび座での幼い頃の太鼓の稽古、久しぶりの仲間との競演、涙が出そうでした。
ヨコちゃんの「ふるさと公演」(06,1月)と重なるものがあったからでしょうか。
良い新年を。
佐藤謹一郎
現在はほぼ日常生活に戻っています。
人工肛門のお世話になっていますが、看護士として今でも元気に働きつづけています。
佐藤謹一郎様が18日の入院で済んだのは、早めの発見だったのだろうと推察しております。予後を大事にしてお過ごしください。
懐かしい方々がお集まりになって、退院祝いをされたのですね。その場の暖かな雰囲気がなんとはなしに伝わって参ります。
よいお年をお迎え下さい。