先日始まったNHKの朝ドラ「花子とアン」の第一話。
空襲警報が鳴り響き火の手が上がり始め、主人公の花子が3人の子どもを連れて家を出る間際、
はっと机の上の洋書を見るとそこに火の粉が。
あわてて叩き消し、辞書と共に抱えて走ります。
そして場面が変わり貧しい少女時代。
行商から戻った父親が「すごい土産があるぞ。絵本じゃ!」と一冊の本を子どもたちに見せると、
小さな妹弟は「食べ物じゃないの…」とがっかりしますが、
花子は「本物の本だ、夢みてぇだ!」と目を輝かせます。
このドラマを見て、ある映画を思い出しました。
「疎開した40万冊の図書」というドキュメンタリー映画です。
仕事で参加した勉強会で上映されたこの映画は、第二次大戦の戦況が悪化するなか、
日比谷図書館の館長と古書鑑定家、アルバイトとして雇われた都立一中(現日比谷高校)の生徒たちが、
東京中の貴重な本を集め、郊外の農家の土蔵に疎開させたという事実を描いたものでした。
ここ2年ほど海外へ日本の本を紹介する仕事をしているため、
「世界で本がどのように読まれているか」という話をよく聞きます。
ベトナムの編集者は「子どものころ、どうしても本が読みたくて貸本屋のアルバイトをしていたんだ。」と話していました。
カンボジアでは、識字率が低く貧しい地域でも、もっと絵本や教育に関する本を読みたい、
美しい絵や写真が見たいという声が上がり始めていると聞きました。
貧困や教育環境の問題ばかりではありません。権力による圧力もあります。
中国からは「当局からの通知でこの小説が販売停止になった。とても悔しい。時期を見てまた出したい。」と連絡がきたこともありました。
そんな熱意と努力の末に手に入れた本も、ひとたび戦争や自然災害が起これば、すべてあっけなく失われます。
データも永遠に残るわけではません。
近年若者の活字離れと言われて久しいですが、それでも日本はかなり読書人口の多い国です。
世界中の本が日本語に訳され、買ったり借りたりして自由に読むことができます。
書物だけでなく映画、音楽、地図など。
そして、学ぶ、発言する、投票するなどの権利。
当たり前のように日常にあるものは、けして大げさでなく誰かが命を張って守り、
掴み取ったものの延長線上にあるのだと思い知らされました。
結局、東京大空襲では日比谷図書館を始め多くの図書館が焼失し、44万冊が燃えました。
「ひとりでも利用者がいる限りは図書館を開け続ける」という信念を貫いたために、
「もっと救えた本があったのに救えなかった。」と中田館長は最期まで悔やんでいたそうです。
映画のエンドロールにリストが並びますが、全国の図書館で同様の疎開が行われていました。
私の祖父も戦時中に学校の図書や楽器を自宅に避難させましたが、すべて燃えてしまったそうです。
彼らがそこまでして守りたかったものはなんだったのか。
どんなことを思いながら運んでいたのか。まだ考え続けています。(なぎさ)