和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

夏来る。

2022-06-28 | 本棚並べ
この頃、夏に思い浮かぶ言葉があります。
そう。暑くなると、わたしに思い浮かぶ。


中村弓子著「わが父 草田男」(みすず書房・1996年)。
そこに、ありました。俳句からはじまっております。

「  毒消し飲むやわが詩多産の夏来る

 夏こそは父の季節であった。
 父は7月24日に生まれ、8月5日に亡くなった。

 暑い季節がやってくると家族は全員げんなりしている中で、
 『瀬戸内海の凪の暑さなんてこんなもんじゃありませんよ』

 などと言いながら、まるで夏の暑さと光をエネルギーにして
 いるかのように、大汗をかきながらも毎日嬉々として
 句作に出かけていた。・・・・・・  」( p57 )

はい。せっかく本棚からとりだしてきたので、
もう一か所引用しておくことに。

「この『草田男』の名には由来がある。・・・

 父親の死後、一家を支えるべき長男であるのに
 神経衰弱で休学などして愚図々々している父のことを
 日ごろから徹底的に蔑視していたある親戚が、
 ある機会に父に向って
 『お前は腐った男だ』と思いきり面罵した。
 父はそのとき
 『俺はたしかに腐った男かもしれん。だが、そう出ん男なのだぞ』
 と内心思い、受けた侮辱とそれに対抗する自負心の双方を、
 訓読みと音読みで表わす『草田男』の名を俳号としたのである。
 ・・・・      」( p74 )


ということで、『夏』が本の題名にはいっていると、
つい気になって、手が出ます。
はい。題名に惹かれ、安い古本なら迷わず購入(笑)。

大矢鞆音著「画家たちの夏」(講談社・2001年)
も安かったので手にしました。
装幀は、安野光雅。雲がわくようなカバー絵です。
はい。10ページほどの序章を読んで私は満腹です。
うん。序章のはじまりとおわりとを引用。

「日本画家の家に生まれた私は、小学校のころから
 父の手伝いをするのが楽しみだった。
 秋の展覧会に向けて、夏休みはつねに父とともにあった。」

こうはじまります。この本には五人の画家が
各章にわかれ第5章まで登場します。
第1章の清原斎『最後の夏』
第2章の大矢黄鶴『父との夏』
第3章の中村正義『人生の夏に叛いて』
第4章の田中一村『夏、奄美に死す』
第5章の若木山 『夏を描く』

はい。わたしは序章だけ読んでもう満腹。
ここには、序章最後の言葉を引用します。

「『絵の道に完成はない』とは多くの画家がいうところだが、
 そのひそみにならっていえば、田中一村も私の父も
 道なかばの人生であったということになろう。
 清原斎も中村正義も若木山もそうであった。

 美術の秋ということばをよく耳にするが、
 画家たちにとっての戦いは、夏である。
 彼等は季節の夏を、人生の夏を、どのように生き、
 どのように描き、どのようにして死を受け入れたか。
 
 それは惜しくも道なかばの人生であったことを
 ここに、描きとめたい。  」( ~p16 )


うん。どのように描かれたのか。
序章だけで満腹の私は、ただただ想像するばかり。
それよりも、序章は『描きとめたい』と終わっておりました。
描きとめたい夏。描きとめれた夏。
万事飽きやすい私ですが、この夏、ページをめくれるかどうか。

ちなみに、名前ですが大矢鞆音(おおや・ともね)と読みます。



 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 兼好の『再誕生』記念日。 | トップ | 浅くて流れたる、遥かに涼し。 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます(^^♪ (のり)
2022-06-28 08:14:14
どうぞこの夏に、「ページをめくって」欲しいと願っております(^_-)
返信する
夏を旨とすべし。 (和田浦海岸)
2022-06-28 08:38:42
おはようございます。のりさん。
さっそくのコメントありがとうございます。

はい。夏のページをめくったら
ブログへとあげたいと思います。

徒然草第55段の『家の作り様は、
夏を旨とすべし。・・・』へと
つなげようとしたのに脱線です。

今日中に徒然草をとりあげます。
返信する

コメントを投稿

本棚並べ」カテゴリの最新記事