和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

司馬さん丸谷さん。

2012-06-03 | 他生の縁
丸谷才一氏と司馬遼太郎氏の
思わぬつながりを見つけました。
それは、浄土真宗。

ということで、
以下に、それについての箇所。
まずは、
司馬遼太郎の「日本仏教小論 伝来から親鸞まで」。
これについて、
新潮社の「司馬遼太郎が考えたこと」15巻目には、
作品譜として、その文の経緯が読めるのでした。それによると、

「1992年 
3月5日にニューヨーク・コロンビア大学ドナルド・キーン日本文化研究センターで催されたキーン教授退官記念セレモニーでの講演草稿に加筆したもの。ニューヨーク滞在は3月1日~3月12日。・・・」

とあります。
司馬さんは、講演をはじめるにあたって、このように自らを語っておりました。

「日本仏教を語るについての私の資格は、むろん僧侶ではなく、信者であるということだけです。不熱心な信者で、死に臨んでは、伝統的な仏教儀式を拒否しようとおもっている信者です。プロテスタンティズムにおける無教会派の信徒とおもって頂いていいとおもっています。
ただ私の家系は、いわゆる【播州門徒】でした。いまの兵庫県です。17世紀以来、数百年、熱心な浄土真宗(13世紀の親鸞を教祖とする派)の信者で、蚊も殺すな、ハエも殺すな、ただし蚊遣りはかまわない、蚊が自分の意志で自殺しにくるのだから。ともかくも、播州門徒の末裔であるということが、私のここに立っている資格の一つかもしれません。」


つづいて、
丸谷才一批評集の第三巻「芝居は忠臣蔵」。
その巻末対談。瀬戸川猛資氏との対談で、
丸谷才一氏が、こう語っているのでした。

丸谷】 ところで僕の家の宗旨は、浄土真宗なんです。親父は医者で、僕をつかまえてはしきりに患者の旧弊ぶりを嘆いたものです。診察して、これは大変だ、今すぐ手術だというときに、患者の家族が『きょうは日が悪いから明日にしてくれ』と言いだす。それを説得するのにひどく骨が折れたらしい。そして『こういう迷信は絶対に信じちゃいけない』と諄々と僕を諭すんです(笑)。・・・・・
そういう気質は、父が近代科学的合理主義者だったからだと思ってきたけれど、ひょっとするとこれは、家が真宗であったせいもあるかもしれない、と最近思うんです。『門徒もの知らず』と言うでしょ。卒塔婆もないし位牌もない。そういうことにはいたって冷淡で、儀礼の廃止、さらには呪術性の蔑視、これがひじょうに強いですね。
ほら、福沢諭吉が『福翁自伝』で語る、子供のとき、神様のお札を踏んづけてみたけれど何ともなかったという有名な話があるでしょう。あれは諭吉少年の近代主義のあらわれということになっています。しかし、彼の家は真宗でしたから、もともとそのせいで呪術性への懐疑的傾向が強かった、と見ることもできますね。 (p372)


うん。これからは、浄土真宗とはどんな宗教かというイメージをするのに、具体的に、司馬遼太郎と丸谷才一(それに福沢諭吉)を思い浮かべれば、焦点がはっきりしそうな気がしてきました。

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