和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

伊東静雄の夏。

2007-08-19 | Weblog
「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなお・・・」といえば、清少納言の枕草子ですね。「定本伊東静雄全集」(この全集は一冊・人文書院)の詩をめくっていたら、つい手紙の箇所もめくっていました。そこに、面白い箇所があったので引用。
それは、昭和16年8月9日富士正晴宛の手紙です。

「小豆島からのお手紙有難う。いいところのようですね。鮮しい魚たべたいですね。私はかぼちゃばかりたべてゐます。・・・・小泉八雲の全集買つて来て飽かずよみます。・・・八雲をよむと蝉や蝶々が、いままでより一層形而上的感興をひくのが、私の趣味に合ひます。怪談も同じ根柢からのものではあっても、自分にはあまり目下興味ありません。・・・」

その次に、夏についての言葉があり、伊東静雄の夏への関心を、聞いている思いがするのでした。

「夏の夕方はいいですね。出来るだけ散歩します。夏は一年中つづいてもいいように私には思はれます。この充溢した季節感は私には大へん必要です。夏には、感傷的にはなっても、弱り果てた気持がおこらぬのは、いいことです。物をみつめる気持ちになれるのも助かります。」(p435)

それにつづけて、手紙で自分の詩を書き送っているのが印象深く感じられます。

「先日書いた詩一つ、御笑らんに供します。

   七月二日 初蝉

  あけがた
  眠りからさめて
  初蝉をきく
  はじめ
  地蟲かときいてゐたが
  やはり蝉であつた
  六つになる女の子も
  その子のははも
  目さめゐて
  おなじやうに
  それを聞いてゐるので
  あつた
  軒端のそらが
  ひやひやと見えた
  何かかれらに
  言つてやりたかつたが
  だまつてゐた

                                   」


詩に子どものことが登場しておりましたが、そういえば、少し前の小高根二郎宛のはがき(6月19日)には

「・・このごろ小生も『志濃夫廼舍歌集』ずっとよんでるところ故、暗合面白く思ひました。・・小生の曙覧熱も相当なものと、以て御想像相成り度し。・・」

(そうだ。橘曙覧全歌集が岩波文庫にあったなあ)


最初にもどって、「秋は、夕暮れ。」の清少納言をもう少し引用。

「夏は、夜。月のころはさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。」とあります。伊東静雄には「蛍」と題した詩もあります。日記にも夏に関する記述があり、伊東静雄と夏、というのは面白い感じをうけます。



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