和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

蝉・擬音語。

2007-08-21 | Weblog
「ノイズ=蝉の声」というのは、
いちおう日本人としては、承服しかねますよね。
外出して、汗をかきながら、日差しをうけていると、まるで日差しの効果音じゃないかと思うような蝉の声が聞こえている。そういうのを毎年夏に繰り返しているわけです。夏は蛍。というのは肝心の蛍がいなくなってしまって、ピンとこなくなりましたが、クマゼミがだんだんと北上して来ているこの頃、まだ蝉と夏との関係は強固なような気がします。
ということで、蝉の話題には、興味があります。
養老孟司・吉田直哉対談「目から脳に抜ける話」(ちくま文庫)に
こんな箇所がありました。

【吉田】・・・実験じゃなくていろんな経験でしかいえないのだと思いますけど、たとえば友達が作った日本のテレビドラマを同業の演出家のアメリカ人たちに、見せました。男と女の別れのシーンだったんですが、話がとぎれたところへ、『カナカナカナカナカナ』って、蝉の声がはいる。それが実にいいセリフ代わりになってるんですけど、『あのノイズは何だろう』って(笑)。何もかもぶちこわしって言うか・・・・。
【養老】そうですね。彼ら、蝉の鳴き声は『ノイズ』って言いますね。確かにそうです。
【吉田】ですから確かに実験は難しいとは思いますけど、虫の声を言語的に聴くというのは、日本人には当然でしょう。     (p109~110)


ここで吉田直哉さんは「実にいいセリフ代わり」「虫の声を言語的に聴く」としておりますした。ちなみに、そのあとには、養老さんのイギリス・オーストラリアでの蝉の話が続いておりました。

さてっと、産経抄(2007年8月20日)に、こんな箇所がありました。

「国語学者の山口仲美さんによれば、さまざまな擬音語でセミの声を楽しむのは、日本文化の特質らしい。中国人やアメリカ人にとっては、単なる騒音にすぎないから、いちいち言葉で認識したりしない。ところが日本に滞在して日本語に熟達してくると、セミの声も『いいな』と思えるようになるそうだ。言葉が持つ不思議さである。」


ここから、産経抄は作家のセミについてのエピソードを語るのでした。

「作家の佐藤正午さんは、夏の一日の始まりには窓を開けて、1分か2分必ず考える。ミンミンゼミの声を『ミンミン』の代わりにどう表現できるか、つまり『蝉の声をあらわす比喩』を見つけようとするのが習慣になっている(「小説の読み書き」岩波新書)。ちなみに三島由紀夫は『数珠を繰るような蝉の声』と書いているという。藤沢周平の傑作『蝉しぐれ』は、ニイニイゼミが鳴く夏の朝に始まり、蝉しぐれの中を、主人公が馬で駆け抜ける場面で終わる。・・・」

これを引用していると、レビュージャパンの総合掲示板BBSで「期間限定『蝉の話』しませんか。」と題しての書き込みが思い浮かびました。ろこのすけさんが取り上げてくださった話です。あの話は連想が広がっていき楽しかったです。ろこのすけさん。

最後に、山口仲美著「中国の蝉は何と鳴く?」(日経BP社)に入っている、本と同じ題名の6ページほどの文を紹介しておきます。
最初はこうでした。

「北京の街には真夏日が照りつけ、外出すると太陽光線が肌に食い込み、オーブンの中で焼かれる鶏の苦しさが少し分かった気分になるほどであった。その日は、北京師範大学の日本語学科の学生たちに講演をする日であった。『冷房も何もないのですが、唯一のとりえは構内が涼しいことです。』迎えに来てくれた中国人教師のリン(林)さんが、上手な日本語で私に説明する。・・・・『教室では、男子学生が前の方で席取りをしています。』・・・席取りなんかしているんだ。私は、急にいそいそし始めた。日本の大学で講演をすると、まず前の方の席はがら空き。・・席取りまでして聞こうとする中国人学生の熱意に、私は昇り行く中国の太陽を見る思いだった。」(p16)

講演の題は「日本人の好む擬音語・擬態語」。真夏日の太陽と、昇り行く中国の太陽にも負けずに話す、山口仲美さんの姿がそこにはありました。


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