和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

歴史・京都・芸能。

2020-04-17 | 京都
本の活字の中には、お宝が隠れているのじゃないか。
それを読み解く楽しみがあるのじゃないか。

というのが、私にも思い当たります。
いかんせん、私は長い本を読まない。
それなのに、本の大切さは思う。

安い古本が、ネットで簡単に手に入るようになって、
これほどに、わたしには有難いことはなく。
まるで、駄菓子屋でお菓子のクジ引きをひくような
ワクワク感で、買った本をひらく楽しみがあります。
はい。ハズレもあります(笑)。

前置きが長くなりました。
林屋辰三郎著「歴史・京都・芸能」(朝日選書)が
古本で200円なり。

さっそく、「あとがき」をひらく。
手応えがあり、当りでした。

「正直なことをいうと、わたくしはこの小論集を、
10年のち65歳の定年退職の時に予定していた。
それまでは・・随筆風の・・懐旧的な書物は出版するまいと考え、
・・まだまだ研究書の著述をせねばと気負っていたわけである。

ところが思いがけないことが起った。
昭和44年1月22日午前10時に、勤務先であった
立命館大学に辞表を提出することになったのである。
・・大学紛争と関連して・・その責任を回避する形でなく
明らかにするためには、本職を辞するほかはなかった・・」

はい。あとがきは、昭和44年10月と書かれております。
更に、歴史という学問にとりつかれた話もでてきます。
中学時代の吉原好人先生を語って

「先生がほんらい西洋史の先生であって、たまたま上級の
国史を担当された・・35年前の教場の有様が、髣髴として
思い起されてくる。・・歴史の事実の興味以上に研究の
面白さを学んだし、世界の歴史との関連で日本の歴史を
教えていただいた。・・・

昭和7年第三高等学校に進学して、中村直勝先生の
教えをうけ、いよいよ史学科志望をきめた。・・・・・

やがて大学に進んで西田直二郎先生のもとで、
文化史への眼をひらいていただいた。その上に大学の
学生としてのみならず、当時先生の主宰された
京都市史(第一次)の編纂員として奉職することになり、
歴史研究の道はおのずから京都探求の
道につながって行ったのである。」

「京都とわたくしとの関係は、昭和3年、
東京から京都にうつり、京都一中へ編入学した
時にはじまった。・・・・・・

芸能との関係は、京都大学の卒業論文に
『近世初期における遊芸の研究』を提出して
いらいのことである。・・・卒業は昭和13年・・
そのころの精神史流行のなかで、わたくしは
やはり社会史につよくひかれて、中世の
民衆生活を研究課題とするようになり、
とくにその具体的なあり方として、
芸能をえらんだのであった。・・・

京都も芸能も、歴史を学んだわたくしに
とってのふるさとにほかならない。こんどの
書物の題名に三題噺のような題名をつけたのも、
・・・・この3つは、決してそれぞれが分立して
存在するのではなく、互いに相関わりあって
一つの世界をつくっているように思われる。・・・」
(~p311)

専門の雑誌やら、新聞に掲載された文を
まとめて一冊にされた本なので、わたしみたいな
パラパラ読みの読者には、なんとも有難い。

うん。せっかく著者の「あとがき」を引用したので、
「あとがき」と、比べたくなる本文を引用してみます。

1964年9月、「歴史地理教育」に掲載された文
『研究者と教育者』から引用してみます。
そこで、一般の教育者について語る箇所がありました。

「・・もちろんいろいろと事情もあろうが、自信をもって
教壇に立っている人は、意外に少ないのではあるまいか。
このあいだも教育テレビをみていて気付いたのだが、

歴史は暗記するものではない、考えるものである
という命題は正しいが、
考えるために必要で十分な素材を与えないで、
古代の農村生活をこどもたちに考えさせるだけであるから、
こどもたちは現代の感覚や常識で古代を議論している。

古代の共同体がまるで学級会のような調子だが、
先生もこれを成功として是認しているようにみうけられる。
それは歴史の授業ではなく、古代を教材とした
現代の『社会』の授業という意味でしかない。

現代でこそ、封建的関係ということは
悪の価値基準に属するであろうが、
中世では立派な進歩であり、正の価値基準に属することで、
その確保のために農民たちは努力してきたということが、
これでは少しも判らない。

歴史の授業ならばその辺の最小限の素材は、
まず記憶させておかないかぎり、
考えることさえ困難であるように思える。

 ・・・・・・・・・

そのような場合、教育者もいわゆる研究者のうけうりでなく、
自ら研究者となって自信をもった授業が必要になる。
先生もこどもと同じ参考書をもって、一緒に考えることが、
必ずしも正しい歴史教育とはいえない。
・・・それにしても教育者の研究者としての自覚によって、
大部分の点は克服できるのである。・・・・

いわゆる研究者などより、いわゆる教育者の方が、
はるかに広い分野を担当しているという自覚がたいせつである。」
(p58~59)

うん。200円の古本の中から、
こういう言葉を拾い読みできる有難さ。

ハイ、わたしはここまで。
後になり、気になれば、本棚を探せます。

うん。
『京都も芸能も、歴史を学んだわたくしにとって
ふるさとにほかならない。』(p311)

万事飽きっぽい私に、京都関連の古本は例外。
やっと『ふるさと』に触れることができたのかも。
あるいは、そんな手応えを、感じられたのかも。

ということで、安い古本をひらいていたら、
とんでもない、当たりクジを引いたような、
そんな楽しい、『京都』の古本なのでした。







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